第38期第21回研究会「ジャーナリズム・リテラシー向上のためのティーチング・ティップス連続研究会:第4回 ゲストスピーカーとの連携」(ジャーナリズム研究・教育部会)【開催記録】

■日 時: 2022年10月1日(土) 19:30~21:40
■方 法: ZOOMを用いたオンライン研究会
■登壇者:
・事例紹介1 「7年目の全学総合講座『メディアと私たち』」 川村肇・獨協大学教授 (教育学)
・事例紹介2 「メディア・リテラシー2.0を目指して」 宮田謙一・国際基督教大学客員教授 (元朝日新聞ジャーナリスト学校長)
■司 会: 河原理子(東京大学、元朝日新聞)

■企画趣旨:
プロフェッショナルな報道に対する社会的信頼感の低下が著しい。大学に入ってくる10代の学生たちの多くが、テレビニュースを見ない、新聞記事を読んだことがない、という白紙状態どころか、「マスゴミ」やフェイクニュースといった根深いマイナスイメージをすでに持っている。ジャーナリズム・リテラシー教育を提供する大学教育や、報道機関の社内教育は、こういった情報環境の激変をどう捉えていけばいいだろうか。

本研究会は、新たなジャーナリズム・リテラシー教育法の開拓をテーマとして、幅広い情報交換と交流の場を提供したい。

この主旨のもと、第1回は「記事作成の実践教育法」、第2回は「報道の在り方を討議する」と題して研究会を開催した。第3回 (「大学と報道職の近接」) は7月23日に予定されている。

第4回は、大学で全学対象のジャーナリズム講座を運営しているお二人を招く。今や誰もが世界に発信できるし、世界各地の情報を入手することもできる。報道の仕事を目指す学生だけではなく、「みんなのジャーナリズム」が必要だ。しかし、どうやって関心を持ってもらうのか、さらに自分のものにしてもらうのか。

登壇者は2人とも、全学対象の大人数の講義で、ゲストを招いて実際の取材者の姿を学生に見てもらいながら、教員自身がフォローアップする回をはさんで授業を進めている。

獨協大学・川村さんの専門は教育学だが、ある危機感から、2016年度に「メディアと私たち」の全学総合講座を始めた。300人定員。全学総合講座は選択必修で、高校から大学への橋渡しと位置付けられており、受講生は1年生が多い。川村さんは、ジャーナリズム界へのつてが乏しいなかで、ハードなテーマに挑む取材者などの講師陣を独自に開拓。試行錯誤しながら続けるうちに、学生たちの成長が見えるようになったという。学生の決めつけ的なコメントへの対応、政治的イッシューに触れる際の留意点、単なる「連続講演会」に終わらせないように教員がまとめる回に何を学生に示すのか、などの工夫について聞きたい。

川村さんは、「学生たちが一度でも実際のジャーナリストを見ておくことは大きい」と言う。が、誰に会うかで印象は変わる。人選は大きな課題だ。

国際基督教大学・宮田さんは、春学期「ジャーナリズム入門」、秋学期「メディアと人権」、冬学期「メディアと公共政策」の授業をして4年目。講座の定員は現在、180人。2、3年生が中心。週1回、70分授業を3コマ連続で実施しており、1コマ目にゲスト(取材者)の話を聞き、2コマ目にグループ討論する。全体の半分はゲストなしで、学生たちがそれまでの授業テーマに関する本を読んで発表するなどしている。学生の「メディア不信」に、春学期に揺さぶりをかけて、7-8割の学生はメディア観が変わると宮田さんはいう。その上で秋学期にジャーナリストの公益的役割を伝える。原理主義的なメディア批判の世界から踏み出し、メリットも評価できる「メディア・リテラシー2.0」の獲得を目指すという。学生たちは何に驚き、なぜどのように変わるのか、自発的思考を促す仕掛けについて聞くとともに、教える側・語る側と学生たちの意識にどのような断層があるのか聞きたい。

宮田さんは、朝日新聞「ジャーナリスト学校」の校長として社内記者研修にも携わってきた。

■開催記録
記録執筆者 : 河原理子
参加者: 16人

 登壇者からそれぞれ30分報告していただき、1時間半ほど意見交換した。登壇者お二人の話は、かなり根幹からときほぐして話さないと学生に伝わらない、という点で一致した。ゲストを招く前後の丹念な下地づくりの重要さが、感じとれた。

 川村さんは、大学生に政治的無関心が広がり、SNS情報だけに頼っている様子に危機感を抱いたという。ゲストは、知り合いのつてをたどったり、その人の制作した映像を見て手紙を書いたりして広げた。授業の目標は、「言論の自由とメディアとの関係を実際の仕事から学んでいく」「情報発信の主体となることの意味、意義を学んでいく」など。

 初回の授業は川村さん自身が担当する。まず、真実の追究をどうやって行うかを問いかけ、自分の考えに合う情報ばかりを集めてしまう「確証バイアス」について説明。批判的思考がなぜ必要なのか、大本営発表の映像なども見せながら話す。学生たちには「批判を嫌悪する」傾向があり、「悪口を言うことだと勘違いしているようだ」と言う。なので、批判は互いを高めるために必要なことで、政府批判をすぐに「反日」と言うが、日本を良くするための批判もあることを伝える。その上で、報道の役割について話し、ゲストの話を聞く。最終レポートで、この授業で何を学んだか、自分の中で何か変わったか、書いてもらったところ、「選挙参加の重要さを学び、選挙に行った」「自分の知っていたという勘違いを痛感した。前はネットの話をうのみにしていた」「前より、意識的に新聞や報道番組を見るようになった。講師の話に、私が知らなかった、知っておくべき話がたくさんあって、今何が起きているか把握する必要性を感じるようになった」などの変化も見られたという。

 宮田さんは、学生に接するようになり、「メディア」への嫌悪感の強さに驚いたと言う。ただ、反感の極めて強い学生に聞いても、根拠となる体験があるわけではなかった。授業は、「メディア批判」を二つの面に分けて示すことから始める。第一は、「民主主義の装置としてのメディア(ジャーナリズム)に対する批判」、つまり、権力と癒着せずに役割を果たしているか、という批判。ここで、主権者と政治の位置関係という基本からとき起こさないと、「なぜ権力を監視するのか」という学生たちの疑問を置き去りにしてしまうと言う。第二は、「メディアのありように対する批判」。切り取り、印象操作、儲け主義、メディアスクラムなどへの批判で、根強くある。常套句と化している面もあるので、批判も鵜呑みにはしないで、情報を見極める力をつけるよう学生たちに促す。その上で、ゲストの話を聞く。ゲストは、ICU卒業生や宮田さんの出身新聞社の記者を招くが、なるべく若い人や女性など学生に近い取材者に来てもらい(春、秋の受講生は女性が多い)、たとえば保育園問題の取材チームを立ち上げた経緯や、社内でぶつかった無理解の壁などの悩みも語ってもらい、「プロセスを見せる」。それによって、わけのわからないよこしまな意図の入っているブラックボックスだ、というメディア・イメージを崩したいと言う。さらに、グループ討論や学生のブックレビューで理解を深められるようにする。これを続けることで学生の理解が具体的になり、多くはメディア観が変わるが、決して変わらない学生もいるという。

 意見交換では、「メディア」なのか「報道機関」なのか、ジャーナリズムやジャーナリストなのか、主要な役割を担う人たちのことを何と呼ぶか、という名称の問題提起があった。また、「反メディア・親メディアの二元論ではなく、社会そのものが曲がり角にあるので、歴史を遡って市民社会の成り立ちから話して、メディアについても地域メディアなど身近なところから考えていかないと、学生とギャップが生じる」との指摘があった。「教員は学生にとって非対称な権力側にいるので、教員の望む方向の反応を見せる可能性もある」「たとえば報道の自由について一般論として理解することは学生はできても、それで実際に情報を得る行動まで変わるのか」「リテラシーだけ教えても、社会とつながる強い動機づけがなければ、新聞を読めるようにならない」などの疑問や意見が出された。

 これに対して宮田さんは、「新聞を読むようになったと言う学生は結構いる。たくさんの資料を授業で読ませるので、ここを見ればこういう情報があるということは体得するようだ」と話した。「世界観まで変わるかどうかは人それぞれだろうが、インターネット経由でごちゃ混ぜの情報に接するなかで、情報の評価は少しできるようになるのではないか」。川村さんは、「時事問題への関心が喚起されていることは事実だと思うが、300人学生がいて、行動の変化まで追跡はできない。授業のレポートを読んで、こちらが感動しているだけのこと」。また、意見交換で出た、「学生たちにとって、主権者としての権利より、迷惑をかけないことが最重要になっているのではないか」という話に「とても共感する」と話した。

 情報の流通構造のみならず、世界が大きく変わるなかで、メディア/ジャーナリズムの教育を再構築する難しさと大切さが共有された貴重な時間だった。