第38期第10回研究会「『大東亜共栄圏』で行われたラジオ放送~南方占領地での宣伝戦をめぐって」 (メディア史研究部会)【開催記録】

■ 日時: 2022年4月9日(土)14:00~16:00
■ 方法: Zoomによるオンライン開催
■ 報告者: 村上聖一(日本放送協会)、松山秀明(関西大学)
■ 討論者: 井川充雄(立教大学)
(司会・進行は村上が担当)

■ 企画趣旨:
太平洋戦争の開戦から80年が経過し、この間、戦争とメディアとのかかわりについては、多様な議論がなされてきたが、大東亜共栄圏構想のもと、「南方」と呼ばれた東南アジアの占領地で日本が行ったラジオ放送については、十分に検証されてこなかった面がある。本研究会では、南方占領地で行われた宣伝戦の実態を確認するとともに、台湾など外地と呼ばれた地域でそれまでに行われてきた放送とも比較しつつ、放送が果たした役割を考える。

報告では、戦時下、南方占領地に30以上の放送局を開設して行われた放送について、残された史料の状況も含め、概要を紹介した上で(村上聖一会員)、フィリピンやビルマといった激戦地で行われた放送に焦点を当て、短期間で活動を終えた宣伝工作の実態を見ていく(松山秀明会員)。そして、南方占領地で行われたラジオ放送が、「大東亜共栄圏」全体の放送の中でどのように位置付けられるかといった点について、戦前・戦時期の台湾放送協会について調査を行ってきた井川充雄会員よりコメントをいただく。

南方占領地での放送は、史料の制約もあって、これまで論じられることは少なかったが、研究会では、大東亜共栄圏構想の中でのラジオ放送の位置付け、さらには、戦争と放送メディアの関係について幅広く議論することとしたい。

【開催記録】
記録執筆者:村上聖一(日本放送協会)
参加者:34名(Zoom利用)

報告:
太平洋戦争下、「南方」占領地で行われた放送をテーマとした本研究会では、村上聖一会員(日本放送協会)と松山秀明会員(関西大学)が史料から浮かび上がる放送の実態について報告を行ったのち、井川充雄会員(立教大学)が日本の統治下にあった台湾の状況と比較しつつコメントを加えた。その後、参加者を交えた討論を行った。

冒頭の報告では、村上会員が、大東亜共栄圏構想の浸透に向けて日本が東南アジアの占領地で行った放送について、残された史料の状況も含め、概要を説明した。この中では、▽1942年から1945年にかけて、現在のインドネシアやマレーシア、フィリピンなどに当たる地域に30以上の放送局が開設されたこと、▽放送局の設置は軍が行い、番組制作は日本放送協会や台湾放送協会から派遣された職員や現地で雇われた住民によって行われたことを紹介した。また、いずれの地域でもラジオ受信機の普及がわずかにとどまったことから、ラジオ塔を通じた聴取が中心となり、番組もそれに適した音楽演奏やレコード再生が中心となったことを報告した。

次いで、松山会員が、激戦地となったフィリピンとビルマ(現・ミャンマー)で行われた放送について報告を行った。この中では、それぞれの地域での放送局の開局状況とともに、日本放送協会からアナウンサーとしても著名な松内則三ら職員が次々に送り込まれたことなど、放送の実施体制について説明した。また、放送内容について、フィリピンでは、音楽を中心とした現地住民向けの放送と米軍に対する対敵放送、ビルマでは、日本文化の浸透を狙った現地住民向けの放送とインドへの対敵放送に力が入れられたことを紹介した。一方で、激戦地となった両地域では、連合国軍の攻撃で放送は十分な効果を上げることができず、放送に携わった多くの職員が殉職するなど、無残な結末をたどったと報告した。

これに対して、井川会員が、日本統治下の台湾で行われた放送を参照しつつ、コメントを行った。この中で、台湾の放送は、「南支・南洋」向けでも拠点となることが期待されたものの、当初の中波放送ではその目的は達成されず、1937年の短波放送開始によって体制が整ったことなど概況を説明した。そのうえで、台湾でも、ラジオ体操の放送やラジオ塔の設置など、のちに南方占領地で展開される施策が実施されていたことを指摘した。また、南方占領地の放送を考える上では、映画やビラなど他のメディアとの関係や、言語の多様性の考慮、聴取者の状況といった点についてさらに解明を進めるべきと指摘した。

研究会では、このあと参加者を交えた討論が行われた。この中では、「放送局の設置は軍、運営は日本放送協会からの派遣者」という説明について、両者の間での主導権争いや思惑の違いなどが生じていた可能性があるのではないかとする指摘や、ラジオ塔の果たした役割や音楽番組の位置づけについてさらに考察を加えるべきではないかとする指摘がなされた。また、学校向けの教育放送は行われていたのかといった点や、日本放送協会が職員を南方に派遣するにあたってどのような手続きが存在していたのかといった点、対敵放送は連合国軍によってどの程度、聞かれていたのかといった点をめぐって質疑応答がなされた。さらに、より幅広い視点から、イギリスなどによる植民地向け放送にも着目して比較分析を行うことこができるのではないかとする指摘もなされた。

南方占領地での放送に関しては、これまで日本側に残された放送関係の資料によって研究が進められてきたが、研究会の議論を通じて、植民地統治を行っていた国々を含め海外に残る放送の記録を調べていくことや、映画など他のメディアとの比較しつつ放送の機能を検討することなど、研究を進めていく上でのさまざまな可能性が浮かび上がった。研究会での議論を踏まえつつ、引き続き、南方占領地を含め、さまざまな地域で行われた戦時下の放送について考察を加えていければと考えている。

【以上】