第38期第9回研究会「インフラからメディア文化を考える」(メディア文化部会)【開催記録】

■日 時:2022年3月29日(火) 午後2時から4時まで
■方 法:ZOOMを用いたオンライン研究会
■報告者:太田美奈子(新潟大学)、藤原整(昭和女子大学)
■討論者:白戸健一郎(筑波大学)
■司 会:近藤和都(大東文化大学)
■企画趣旨:
細田守監督による『サマーウォーズ』(2009年)は、人々がアバターをまといながらさまざまな社会関係を生きる仮想空間を描き出している点で、メタバースが喧伝される現在において見返すと興味深い作品となっている。だが、メディア研究の観点から同作が周到なのは、仮想空間を支える物質的基盤=インフラ——高熱を発しながら稼働するスパコンとそれを冷やすための氷柱、電力供給用の船舶、ミリ波通信用のアンテナモジュール——が、登場人物の設定に奥行きを出す仕掛けとして、さらに物語上の転機を生み出す要素として描き出されている点にある。

こうした想像力に呼応するように、近年のメディア研究でも、情報やコンテンツの流通を支える人・モノ・技術の複合体としてのインフラに着目した論考の刊行が相次いでいる。たとえば、サーバーが置かれる場所の地政学的分析や、それが自然環境にもたらす影響、不可視化される傾向にある労働のあり様を分析することで、私たちが日常的に享受しているメディア文化がどのように可能になっているのか、また、経済・技術・文化・自然等にまたがる複合的な要因がどのようにメディア文化の形態や経験を規定しているのかを明らかにしている。これらの議論は、フォーマットからテレビアンテナ、海底ケーブル、中継衛星、あるいはそれらの敷設を可能にする/制約する山々や海流、土壌の質に至るまで、倍率のスケールをできるだけ広く設定してメディアの「物質性」を分析する手つきに特徴があるといえよう。

上記の動向を踏まえながら本研究会では、インフラをめぐる精緻な調査を行っている方々をお迎えし、インフラ研究の可能性と意義について議論を深めたい。まず、太田美奈子氏(新潟大学)からは、青森県における初期テレビ受容について、アンテナ敷設の推移や電波を阻害する自然環境のあり方を踏まえて報告いただく。その後、藤原整氏(昭和女子大学)から、ブータン王国を題材に、ヒマラヤ山脈の過酷な自然環境がもたらす独特な電力ネットワークや交通事情、国境沿いのコミュニケーションを通じたメディア流通等に関して報告いただく。その後、満州の電信・電話・ラジオ放送ネットワークをめぐる研究を進めている白戸健一郎氏(筑波大学)からコメントをいただく。研究会を通じて、メディア研究が論じうるテーマのリストをより多様なものにするためのヒントを得られればと思う。

【開催記録】
■記録執筆者:近藤和都(大妻女子大学)
■参加者: 41名(Zoom利用)
■報告:
本研究会では、メディア研究としてインフラを論じることの意義と可能性をテーマに設定し、太田美奈子氏(筑波大学)と藤原整氏(昭和女子大学)からフィールド調査に基づいた論点の提示を、白戸健一郎氏(筑波大学)には通信・放送研究と植民地メディア史の観点からのコメントをいただいた。その後、参加者を交えた討論を行った。

冒頭報告で太田氏は、都市部の普及プロセスや経験に焦点を当ててきたこれまでのテレビ史の問題点を指摘し、周縁的な地域での一様ではないテレビ導入のプロセスを論じることで、「普及率」という観点からは捨象されてしまう、地理的に構造化されるメディア文化の様態をすくい取ることの重要性を提示した。その上で、青森県における電波塔や中継局、共聴施設の設置状況などの調査・分析に基づいて、同じ県内であっても地域によってテレビ視聴環境に大きな差があり、しかもそれが長期にわたって継続していたこと、テレビ放送へのアクセス性が歴史的・文化的な位置づけによってだけではなく、地理的環境(平野/山岳など)によっても規定されていたこと、かりにテレビが受信可能になったとしても、海風や雪の影響から自宅のアンテナ設備を保護・維持するための労働が日常的に求められたことなどを報告した。

次に藤原氏は、ブータン王国におけるフィールドワークに基づいて、当地の「情報化」のプロセスとそれをめぐる文化実践について報告した。まず、ブータン王国の情報化の特徴として、インターネット回線とテレビ放送が同時期に提供され始めたように、先進国が歩んできた段階とは異なる順序で情報技術が導入されていったことを指摘し、インフラが選択的に整備される機序を分析する必要性を提示した。その上で、ヒマラヤ山脈という急峻な地形がメディア・インフラの整備における制約となり、太陽光で充電可能な電波塔が電力網や通信回線よりも優先的に敷設され、独特なモバイルメディア利用環境が形成されたこと、舗装道路が国内の中心地へとつながっていないために、多くの人びとが隣接するインドとの国境沿いへとメディア機器を購入・修理しに行かなければならないことなどを報告した。

以上を踏まえて白戸氏は、両者の報告に共通する視角として、自然環境に制約されたメディア経験/制約を乗り越えようとするメディアへの創意工夫の位相を取り出し、メディア史を環境史に接続する可能性を示した。またインフラを論じる際には、従来取り上げられなかった労働などの要素が重要になるのは認めつつも、そのあり方を記録した資料は概して少なく、新規資料の発掘や記述に関する工夫が必要になることが提起された。さらに、メディア史と環境史を接続させた事例として、昭和戦前期の出版バブルに関する知見を参照しながら、その裏面にあった樺太における製紙産業や満洲における鉄道事業の成立過程に関する論点が提示され、トランスナショナルなメディア史をインフラという視角から展開することで、さらなる展望が開けるのではないかとの指摘がなされた。

その後、参加者を交えた質疑応答が行われ、メディア・インフラ研究を深化させる上で重要な論点が多数示された。たとえば、メディアのインフラを論じることと他のインフラ(治水、道路、電気、電話等々)を論じることの間にはどのような違いがありうるのか、インフラ自体は客観的に記述可能なものとして存在しているというよりも、何かがインフラ「になる」プロセスが重要な争点となりうるのではないか、インフラを論じることで、従来は異なるメディアとして別個に記述されてきた対象の関係性——鉄道網と電信・通信網の関係のように——を浮かび上がらせることができるのではないかといった問いが提起され、議論がなされた。

今回の研究会では、メディア・インフラを具体的な技術やそれらの連関、それを取り巻く地理的文脈や人びとの持続的な取り組みなどから捉え返した。そうすることで、メディア研究が分析してきた「見ること」や「聞くこと」、「話すこと」等のあり方が多様な要素によって可能になっていること、ときにはそうした不可視化されてきた位相によってメディア利用・経験が規定されていることが論じられた。個々の議論を積み重ねるなかで、メディア・インフラの論じ方を多様化・精緻化していくことが今後も求められるだろう。