第36期15回研究会「関西民放の歴史を掘り起こす――証言集『民間放送がかがやいていたころ』から」(メディア史研究部会企画)

関西民放の歴史を掘り起こす――証言集『民間放送がかがやいていたころ』から

日 時:2019年2月20日(水) 14:00~17:00

場 所:同志社大学大阪サテライトキャンパス

大阪市北区梅田 1-12-17 梅田スクエアビルディング17階

報告者:木下浩一(京都大学大学院教育学研究科、元朝日放送)

討論者:辻一郎(元毎日放送)ほか下記著作編者、関西民放関係者

司 会:松尾理也(大阪芸術大学短期大学部)

趣 旨:

草創期のテレビ人の高齢化が進む中、テレビ史の掘り起こし・記録は喫緊の課題として浮上している。その危機感の中で、テレビ人自身で関西におけるテレビ草創期の歴史を書き残そうとする試みが、関西における民間テレビ放送の立ち上げ、そして黄金期を担った51人のプロデューサー、ディレクター、カメラマン、技術者、編成マン、営業マンらに「ゼロからの歴史」について、民放人自らが聞き取り調査を行った証言集、関西民放クラブ「メディア・ウォッチング」編『民間放送のかがやいていたころ』(大阪公立大学共同出版会、2015年)である。

日本の放送史にはいくつかの穴がある。ラジオ史偏重によるテレビ史の「穴」、公共放送たるNHK偏重による民放史の「穴」、民放のなかでも後発局や地方局の「穴」、さらには東京キー局偏重による関西民放史の「穴」。同書は放送史の「穴」を埋める貴重な存在と評価されるべきであろう。編者でもある辻一郎・元毎日放送取締役編成局主幹は、2013年の「テレビ放送開始60年」で、東京制作の番組ばかりに脚光があたる感触を持ったという。実際には関西民放は数々の話題作、名番組を(時には視聴者にそれとは気づかれず)制作し、日本のテレビ文化そのものを作り上げていった重要なプレーヤーであった。同書は、東京一極集中が進むメディア環境の現状に対する「複眼思考のススメ」でもあろう。

ただ同書が上梓されて以後、アカデミズムの側からの応答は必ずしも十分であったとはいえない。実務側の努力をたんなる「昔話」や「懐旧談」に終わらせず「メディア史」にまで結実させるためには、アカデミズム、実務側双方からの議論にもとづく総括や残る課題の焦点化が不可欠である。

以上の問題意識を踏まえ、では、テレビ研究者として自らも民放史の聴きとり作業を続けている木下氏を問題提起者とし、辻氏ら編者側からも討論者を迎え、関西民放草創期の歴史を掘り起こす意味、さらには関西におけるジャーナリズムや公共空間の成立とテレビとの関係などを議論したい。

会の記録

記録執筆者:松尾理也(大阪芸術大学短期大学部)

参加者数 :17人

報   告:

今回の研究会は、関西民放の草創期を担った放送人からの聞き取り調査の成果である関西民放クラブ「メディア・ウォッチング」編『民間放送のかがいていたころ――ゼロからの歴史51人の証言』(大阪公立大学共同出版会、2015年)の意義と評価を検討するというかたちをとり、放送史研究の現在についての議論を試みた。

まず、報告者である木下浩一氏(京都大学大学院教育学研究科)が、「テレビの送り手研究における口述資料の可能性」と題し、同書の学術的意義を検討した。報告によれば、歴史研究において文献資料に対抗する形で口述資料が注目されるようになったのは、正史、つまり上からの歴史としてのHistoryに対抗する形で、個人の営みに注目する社会史、いわばhistoryに注目があたるようになってきた潮流に対応している。日本においては政治学者の御厨貴らによって進められたオーラルヒストリーの試みなどがあるが、その定義自体にも未だに論争が続いている状態である。木下氏はそうした状況を踏まえ、本書を放送におけるアカデミズムと実践の接点を探るために好適な「口述資料」と位置づけた。

放送史をみるならば、口述資料として土屋礼子研究室(早稲田大)による「ジャーナリスト・メディア関係者個人史聞き取り調査プロジェクト」や、放送人の会による「放送人の証言」などの試みがある。それに加えて、いわば正史と言える各局の社史や年史が編まれる際にも聞き取り調査が行われ、口述資料が重要な役割を果たしているとし、その例として月刊誌や年報、年誌、書籍などのかたちで継続して資料を残しているNHKの放送文化研究所を挙げた。

そうした先行研究の流れを踏まえ、木下氏は、編者の一人である辻一郎氏(元MBS)の「『俺たちが目指したのは、そんなものではなかったはずだ』という声」などの指摘を挙げながら、「実務者OB/OGによる聞き取りであり、そもそも内部事情に精通したインタビュアーであるため内容に一定の深みがある」「関西に特化した内容であり、その結果中央/東京を相対化することに成功している」と本書を評価した。

テレビ史の研究者である木下氏は、同書があきらかにした成果として①在阪局の横のつながりの存在②関西民放の送り手内部の文化や意識③制作者や経営者の「本音」④現在の番組やテレビに対する批判─などの点を挙げた。これに対し、「横のつながりという点は、なるほど御堂筋パレードの共同中継が長期間にわたって続いたように大阪局の特性といえるかもしれないが、一方で単発的ではあれ、皇太子ご成婚パレードや東京五輪の中継など東京局にも見られる」(辻氏)と一定の留保をつけるべきではという意見も出た。木下氏はまた、同書に登場する「関西テレビ(放送、KTV)はなんでもありの放送局と言うイメージがきっとあると思うのですが(中略)お役所みたいな体質も根強くあるのです」「関西人って(テレビで描かれるほど)下品ではないそういう人もいます」といった記述を紹介し、そこには関西に対するステレオタイプを覆す指摘が含まれているとした。

木下氏は、聞き取りの試みはさらに続けていく価値があるとした上で、今後の方向性として、聴きとり対象の「コンテンツへの偏り」を越えて制度やテクノロジー、スポンサー、代理店ネットワーク、さらに「縁の下の力持ち」「日の当たらない裏方」として存在する人事や経理、総務などさらに幅広い対象に目を向けていく必要性を指摘した。

その後議論はフロアに移った。松山秀明氏(関西大学)は、NHKへの研究の偏りと民放研究の薄さに懸念を示しつつ、放送文化研究所という専門組織を持つNHKが研究に力を入れた結果放送史がNHK中心になっていくのはいわば当然と指摘。民放にとっては歴史に残す、歴史を掘り起こすという作業はなかなか難しいのではないか、現役のテレビマンを含め民放側の意識はどうなのか、という問題提起があった。

松山氏は続いて、放送史の研究の現状として「放送の歴史」を知るための定番の書籍、文献自体が日本ではまだ確立されていないと述べ、制作者になるのであれ、研究者になるのであれ、その相互循環の起点となる「伝承」が重要になるとして本書の取り組みの重要性を評価するとともに、関西の局や実務者、研究者が一体となった「オール関西」体制など、さらに幅広いアーカイブの取り組みの必要性を訴えた。

これに対し、辻氏は「いろんな賞をとった番組であっても、それをライブラリに残そうという意識が希薄だったし、忙しい日常の中でその余裕もなかった。放送には文字通り〝送りっ放し〟という実態があった」と自らの現役時代を振り返った上で、そうした放送の文化が見直され、放送人の中に放送番組を残そうという気風や意識が定着したのは1980年ごろだったと思う、と発言した。

出野氏は「本書のような試みも、各局がライバル意識のみをむき出しにしているのでは成り立たない」と指摘。全国各地の民間放送のOB・OG組織の総括団体である日本民放クラブが会報に連載する「みんなで語ろう民放史」などの成果も念頭に、「局の垣根を越えた場に集うことで、こうした聴きとり調査を行う気運もうまれた」として、関西の特性というにとどまらない「横のつながり」の存在と意義を強調した。

研究会に参加した現役のテレビマンからは「企画書、台本などもろもろの関係書類を、番組が終わればすべて廃棄していくのが放送局の企業文化だったし、今でもそれは変わっていない」としつつ、「それを問題とする意識が生まれてきつつある。実際にデジタル世代の若手などは、メールや書類などをデジタル化して保存、共有していこうという意識が高い」などと述べ、ライフログやビッグデータ化につながる形でのあたらしい資料保存の可能性に言及した。

研究会を終えて感じたのは、実務、アカデミズム双方に存在するテレビに対する強い愛着と、それと一体となった「過去を振り返らないテレビ文化」への危惧であった。課題は山積しているものの、その現状を変えるための一歩を踏み出す必要性を確認したという点で、今回の研究会には大きな意義があったと感じている。