第37期8回研究会 「モノから考える戦前戦後のローカル放送史―ラジオ塔、テレビ塔、送信所」(放送研究部会) History of Local Broadcasting Before and After the Wars from the Perspective of Objects: Radio Pagoda, TV Tower, and Broadcast Transmitter

モノから考える戦前戦後のローカル放送史―ラジオ塔、テレビ塔、送信所

日 時:2020年12月20日(日曜日) 14:00~16:30

方 法:ZOOMによるオンライン開催

報告者:太田美奈子(新潟大学)、樋口喜昭(早稲田大学)、丸山友美(福山大学)

討論者:加藤裕治(静岡文化芸術大学)、武田俊輔(法政大学)

司 会:飯田豊(立命館大学)

趣 旨:

本研究会は、戦前戦後をつうじてローカル放送局にて形成される放送文化の展開を、放送と聴衆を結びつけたラジオ塔、テレビ塔、送信所という3つの「モノ」から捉え直すことを目的にもつ。これまで放送の歴史は、制度や事業、技術、番組や視聴者といった区分で分類し、それぞれ局史、技術史、番組史という観点から論じられてきた。本研究会はこうした区分を一旦外し、放送メディアの展開過程にあらわれるモノに着目するという観点から放送史を論じる方法について議論する。

本研究会で取り上げるラジオ塔、テレビ塔、送信所は、必ずしも一義的な意味をもつ「モノ」としてあらわれてきたわけではない。ローカルな場に座し、これらモノをめぐる受け止め方をみていくと、同じ「時間」に同じ「番組」を視聴するというナショナルな側面から論じられてきた放送とはやや異なる、多様で雑多で遊戯性に満ちたもう一つの側面が見えてくる。本研究会は、青森・山形・大阪でフィールドワークを進める3名の若手研究者の発表を基点にモノから放送文化を記述するための方法を検討する。そして「モノ」という観点から放送史を論じる新たな方途を構築するための問題や課題を共有する。

◼︎申し込み方法

参加をご希望の方は、12月18日(金)17時までに放送研究部会・丸山宛(tommomi.maruyama@gmail.com)に氏名・ご所属をご連絡ください。

前日(12月19日)17時までに送信元のメールアドレス宛にZoomへの接続情報などをご案内します(未着の場合は丸山までご一報ください)。

開催記録

記録執筆者:丸山友美(福山大学)

参加者数:39人(オンライン・zoom利用)

報   告:

本研究会は、戦前戦後をつうじてローカル放送局にて形成される放送文化の展開を、放送と聴衆を結びつけたラジオ塔、テレビ塔、送信所という3つの「モノ」から捉え直すことを目的に開催した。

第一報告者の丸山友美会員は、日本放送協会関西支部(以下JOBK)の計画部が1920年代後半から1930年代前半に試みた加入聴取者数の拡大施策の一つであるラジオ塔を取り上げ、ラジオがいかに生活の中に編入され、どのように接合されていったのか報告した。ラジオ塔は、ラジオが「家」で聴取されるメディアになる以前、スピーカーと受信機を内蔵した石塔として公園や神社などの「屋外」に設置されたメディアである。計画部が実施した施策は他に、聴取者に対する訪問調査、ラジオ商を巻き込んだ加入窓口の増設、放送時刻表や番組予告のビラといった各種配布物の頒布など様々あったが、それら施策の背後にあったのは、毎年右肩上がりで増加する加入契約数と比例するように、加入契約を解約する廃止数の多さに苦悩する放送事業者の困難だった。以上の検討から丸山会員は、ラジオ塔は、JOBK計画部が人々に「ラジオと共にある生活」を喧伝するために企画・開発したメディアであることを提示した。

第二報告者の太田美奈子会員は、青森県を事例に、電波塔としてのテレビ塔をめぐる初期受容について報告した。電波塔は現在、展望台としての側面が前景化している。だが、青森県で最初にテレビ塔が設置された鷹森山を見ていくと、現在とは異なる初期受容の風景が見えてくる。それはつまり、鷹森山の電波塔の下に集まればテレビを視聴できると思った人々が、テレビを視聴するために鷹森山を登っていたという風景である。丸山報告が示すように、「ラジオ塔」はラジオを聴取するために屋外に設置されたラジオ受信機入りの石塔である。鷹森山の電波塔を目指し登山した人々は、鷹森山の電波塔をそうしたラジオ塔と同じ機能をもつ「テレビ塔」と捉え、その延長線上で受容しようとした可能性が高い。このような勘違いを経て、鷹森山は小中学生には遠足や校外学習の場として、大人達には遊戯の場として開かれていった。それは、塔の周りでフォークダンスを踊る人々の姿を記録した写真に明らかである。だが、こうした受容の多義性が見られたのは親局の鷹森山だけで、他の地域に設置されたテレビ塔は人々がテレビを視聴するためにアンテナを向ける方角という認識に留まった。以上の検討から太田会員は、青森県を事例に、テレビ塔をめぐる遊戯的で雑多な初期受容の姿を描写した。

第三報告者の樋口喜昭会員は、送信所をテクノ・ランドマークと位置づけ、その事例を報告した。送信所は、演放分離により送信環境の整った場所に設置されるが、テレビ放送の場合、その電波特性から塔上や山頂といった高所にアンテナを設置する必要がある。そうした理由から、見晴らしの良い場所に設置されることの多い送信所は、ランドマークという二次的な機能を有するモノとして私たちの前に現れることもある。例えば、東京、名古屋、札幌といった平野に位置する都市では、各放送局が単独で設置した送信所が集約電波塔となったことで、現在、展望台等の設備を兼ね備える観光事業スキームを有するモノになっている。また仙台では、ヒルトップの送信所が夜間にライトアップされ、人々は送信所をランドマークとして利用している。こうした事例がある一方、すべての送信所が地域の生活や観光に開かれているわけではない。地上デジタル化以降、日本には送信設備の移設により役目を終えたテレビ塔が数多くあるが、樋口会員は以上の検討を通じて、「テレビ塔」として地域に存在し続けるテクノ・ランドマークとしての送信所の実態を提示した。

以上の報告を受け、討論者らからのフィードバックが行われた。

第一討論者の加藤裕治会員は、NHKが編纂する『20世紀放送史』に代表されるように、これまで放送の歴史が日本全国に均質に「電波が届いている」と錯覚するように記述されているのに対し、上記三つの発表はいずれもローカルな文脈の中で放送文化が醸成され、放送史の多様性をあぶり出す新たな観点を備える試みだと評価した。そうだからこそ、「インフラとしてのモノ」でも「記号論的なモノ」としてでもなく、ローカル放送文化/放送史に内在することで浮上するモノ性を明らかにする必要があるのではないかという問いを投げかけた。その一つの方向性として、放送史の欠落を埋めるだけではない「ローカル放送史」という方法論の確立という考え方もできるだろうという提案が報告者に対しなされた。

第二討論者の武田俊輔会員は、モノという観点を導入することで、上記三つの発表は単なる「送信―受信」という議論にとどまらない、放送というテクノロジーをめぐる「関係性」やフォークロアを生み出す「場」として拓こうとする意欲的な試みであると評価した。また、放送施設を模した長浜タワービルを例に挙げつつ、電波を発していないにもかかわらずシンボル的機能を有するタワーも存在しており、モノとモノを通じた人々とのつながりから放送史を見ようとする意欲的な試みであるとも評価した。

以上の報告・討論を受けて、フロアの参加者にも参加いただく全体討論を行った。「ラジオ塔・テレビ塔・送信所というモノをインフラと見るならば、さらに議会の議事録といった公文書を参照する必要がある」といった意見やモノに着目することで「放送内容に直接かかわらない<放送人>の存在を浮上させる展開も期待できる」など、示唆に富む発言を多数いただいた。こうしたフロアからの助言や討論者からのフィードバックに応えていくことが、報告者らの今後の研究を充実したものにするはずである。報告者の一人として記して感謝する。ありがとうございました。