2021年秋季大会要旨集 #02

要旨の本文は、個人・共同研究発表者、ワークショップ・テーマ企画者、ポスターセッション発表者からいただいた原文をそのまま掲載しています。(企画委員会)

> 要旨集 #01(個人・共同研究発表、ポスターセッション)


ワークショップ1

「メディア理論の脱西欧化」をめぐる現状と課題
――非欧米圏における研究拠点の形成と状況の把握

司会者: 津田 正太郎 (法政大学)
問題提起者: 千葉 悠志 (公立小松大学)
討論者: 于 海春 (早稲田大学現代政治経済研究所)
〔企画: 理論研究部会〕

【キーワード】 メディア・コミュニケーション研究、理論、場、研究拠点、非欧米圏

 本ワークショップでは非欧米圏、具体的には中国と中東という2つの異なる言語圏におけるメディア研究――ここではジャーナリズム論、(マス)コミュニケーション論、メディア論、等の総称としてこの用語を用いる――をめぐる状況を「研究拠点の形成」という観点から把握することで、「メディア理論の脱西欧化」が現在いかなる状況にあるのかを地理的(あるいは物理的)に理解することを目指す。ある研究が推進され、その存在が広く認知されるにあたっては、しばしばそのための「場」が重要となる。20世紀前半のフランクフルト学派、20世紀中葉のトロント学派、さらに20世紀後半に英バーミンガム大学・現代文化研究センターの設立により勢いをえたカルチュラル・スタディーズなど、「理論」と「場」はしばしば密接に結びついてきた。W.シュラムが「コミュニケーション研究の父」と呼ばれた理由も、その学績にもまして、彼が研究拠点の形成に誰よりも熱心であったという事実に由来するものであろう。既存のメディア研究(理論)の理解では、こうした「場」の重要性は半ば(歴史的なものとして)自明視されてきたが、それに対して「メディア理論の脱西欧化」が図られるべき「場」となりうる非欧米圏のメディア研究については状況把握も十分になされていないのが実情である。だからこそ、今後のメディア研究をめぐる新たな理論的潮流を展望するうえでは、それを非欧米圏におけるメディア研究が行われる「場」と絡めて理解することが有益なのではなかろうか。
 このような問題関心のもとで、本ワークショップでは「メディア理論の脱西欧化」、ないし「脱西欧化されたメディア理論」を考えるための一助として、中国と中東という異なる言語圏におけるメディア研究状況の概観を通して、メディア研究に関する「磁場」がどこに、どのようなかたちで形成されつつあるのかを、とりわけ研究拠点の形成という視点から検討することにしたい。そのために、このワークショップでは中東地域のメディアに関する研究を行う千葉が、同地域におけるメディア研究が欧米の影響を受けながら、どこで、どのように発達してきたのか、またそこではどのような研究が行われる傾向にあるのかを論じる。それを踏まえたうえで、中国のメディアについて研究する于が、中国(あるいは広く中国語圏)のメディア研究の拠点となっている大学や研究所について言及し、なぜそれらが研究拠点としての磁力を帯びるに至ったのか、そしてそこでは具体的にどのような研究が行われる傾向にあるのかを検討する。つまり、本ワークショップで目指すのは、「脱西欧化されたメディア理論」の輪郭を定めることではなく、むしろ「非西欧のメディア理論」が紡ぎだされる可能性がある、あるいは現に紡ぎだされている可能性のある「場」についての理解の深化である。もっとも、そのためには中国や中東だけでなく、日本を含む非欧米圏の事例の検討が肝要となるだろう。本ワークショップでは、我々の問題関心を参加者と共有し、今後の共同研究に向けての建設的な足場をつくることを目指したい。


ワークショップ2

ジャーナリズムの未来を語る方法論としてのメディア史

司会者: 井川 充雄 (立教大学)
問題提起者: 松尾 理也 (大阪芸術大学短期大学部)
討論者: 山口 仁 (日本大学)
〔企画: メディア史研究部会〕

【キーワード】 メディア史、ジャーナリズム、方法論、規範論

 本ワークショップ「ジャーナリズムの未来を語る方法論としてのメディア史」は、メディア史という比較的新しい方法論の可能性を問いつつ、ジャーナリズム研究という伝統的方法論といかに接続し、またいかに差異を明確にすべきかについて討議しようとするものである。
 かつて〈ジャーナリズム史〉と呼ばれていた大学講義科目名が〈マス・コミュニケーション史〉に変わり、さらには〈メディア史〉と変容したという指摘はしばしばなされる。佐藤卓己によれば、ジャーナリズム史は教訓的歴史への志向性を特徴とし、マス・コミュニケーション史は実証的歴史学に相当する。そしてメディア史とは、研究者のポジショナリティが問われる批判的歴史学だという。とすれば、ジャーナリズムの現場もまたポジショナリティから逃れられない現代において、メディア史的アプローチはジャーナリズムの今後を語る方法論として無視できない重要性を持つことになる。
 問題提起者の松尾理也は、メディア史の手法を用いた近刊『大阪時事新報の研究』(創元社、2021年)で、従来の定型である新聞企業の発展史あるいは大物ジャーナリストの体験談、武勇伝というかたちとは違った角度からひとつの新聞の歴史を描こうと試みた。それは規範論を基調とする従来の教訓的歴史からは切り捨てられてしまいがちだった「負け組」のジャーナリズム史でもある。
 問題提起者は新聞記者経験を持ち、現在は大学で研究に従事している。実務経験者による研究は、ジャーナリズム論が規範性を軸として組み立てられた議論であるがゆえに、ややもすれば実務者時代の名声、つまり本人が〝大物〟かどうかに引きずられるきらいがあった。研究の意義、質を担保するという点で一概に批判されるべきことではないにせよ、一面で研究の可能性を狭める結果にもつながったのではないか。ジャーナリズム史的アプローチではなくメディア史的アプローチを取った理由を体験的に語ることを糸口として、ジャーナリズム研究を広げていくためのメディア史的方法論の可能性を考えたい。
 ただし本議論は、規範論を根底に置くジャーナリズム史の伝統を単純に批判するものではない。そもそも、ジャーナリズム史とメディア史とは史資料や参考文献において相互に重なり合う部分も少なくない。たとえば社史、業界史のたぐいは、そのポジショナリティを批判されつつ、実際にはメディア研究においてもしばしば引用される重要文献となっている。また、大物ジャーナリストの権力との戦いをはじめとする輝かしい武勇伝としての体験談、昔語りはメディア研究がよって立つ問題関心に基盤を提供している。
 ジャーナリズムを語る方法論としてメディア史はどのような機能を提供できるのか。大石裕は、日本のジャーナリズム研究について規範論的アプローチの重要性は認めつつ、「ジャーナリズムの思想を前面に打ち出すジャーナリズム論が普及することにより、ジャーナリズム批判が優先され、マス・コミュニケーションの送り手研究としてのジャーナリズム論という観点が後退することになった」と述べている。その意味でも、メディア史的方法論とジャーナリズム研究との関係の整理を行なう価値は小さくないだろう。
 本ワークショップでは、『メディアがつくる現実、メディアをめぐる現実 ジャーナリズムと社会問題の構築』(勁草書房、2018年)などの著書で、社会的構築主義の視座からジャーナリズム分析のアプローチ方法を研究してきた山口仁を討論者に迎える。参加者からの積極的な発言も求め、「ラウンドテーブル」型の議論を期待したい。


ワークショップ3

コロナ禍における報道が突き付けたもの

司会者: 阿部 圭介 (日本新聞協会)
問題提起者: 稲井 英一郎 (元TBS)
討論者: 長浜 誉佳 (人文社会医学総研)
〔企画: 稲井英一郎会員、長浜誉佳会員〕

【キーワード】 コロナ禍、医療崩壊、科学的視点、検証報道、リスクコミュニケーション

 2019年暮れから始まったCOVID-19と呼ばれる新型コロナウイルスの感染拡大は、2か月後の2020年2月末になっても、WTO事務局長がパンデミックと認めないほど、未知のウイルスに対する実体が分かっていないものであった。世界中の国や専門機関が感染拡大を抑える的確な方策を模索しつつ奔走したが、次々と現れる変異株の拡大により、いまだに世界は厄災に覆われている。
 日本では最初の感染症例が1月半ばに報告され、海外での感染拡大が懸念され始めるや、翌月にはマスクや衛生用品の買い占めと転売の横行が、SNSなどを通じた真偽の入り乱れた情報流通~WTOはそれをインフォデミックと名付けた~を契機に誘発され、マスクなどの希少性を繰り返し伝えるテレビなどがそれを増幅したとも指摘される。
 同時に、行政府や感染系の専門家たちは、積極的疫学調査を重視する立場から、PCR検査を極力抑制的に運用する方針を示し、高熱や呼吸器症状のない軽症者は自宅で様子を見るよう求め、発熱外来の受け入れに消極的な民間中小病院や開業医が続出し、議論を呼んだ。
 さらにパンデミック初期には、ウイルスの感染条件や経路、構造の解明が十分進んでいなかったにもかかわらず、「空気感染はしない」という見解が既定の医学的事実として専門家たちから示され、報道されていった。感染拡大の数理モデルによるシミュレーションでは、近い将来42万人が死亡するという条件付き予測がセンセーショナルに報道され、専門家の意見や見解が、科学的に常に正しい知見として、様々なメディアを通じて伝えられていった。
 各報道機関は、特定のいわゆる「専門家」のコメントをベースに、ウイルスに対する極度の警戒論と楽観論を整合させることなく伝え、テレビやネットメディアは毎日夕方、新規感染者数を速報した。同時に、「マスク警察」「人出警察」といった言葉に代表されるように、新聞やネット系メディアも含めて、夜間の飲食店営業や路上飲酒する人々を監視するかのような報道があふれた。
 一方、収入減に陥った病院経営を守る立場から、医療崩壊への懸念を表明した医師会などの関係者からは、緊急事態宣言の早期発令と飲食業の営業制限、人々の移動や集合に対する行動制限を行政府が優先してとるよう求める声が相次いだ。特に、それによってクラスターが発生したという科学的データに基づいた因果関係が示されないまま、飲酒関係業者の営業行為が感染拡大の主因と決めつけるような雰囲気が広く醸成され、ついには政府が法的根拠なく、金融機関や酒販業者を通じて、飲食業に違法の疑いもある営業自粛圧力をかけようとする事態に至った。
 結局、識者や金融業界などからの批判でこの方針は撤回に追い込まれたが、政府がこの施策を公表した時点で、その法的な問題点をただちに適切に指摘できる報道機関は、残念ながらほとんど見当たらなかった。
 医療分野においては、このほか病床調整の対応の遅れによる急性期医療の一部崩壊、ワクチンの長期安全性に対する報道の少なさ、接種体制構築の不備と打ち手確保をめぐる混乱などが次々と明らかになり、検査を含む医療提供体制の抱える構造問題、たとえば、公・民病院間の連携や機能別病床の分化と整備、医師法など日本独特の法規制の問題などに目が向けられつつある。しかしながら、医療体制への問題提起を報道が的確に行い、その是正を広く社会に働きかけるまでには至っていない。
 医師会などの医療関係者、行政府、報道などのメディア、といった三者のとった行動には、未知のウイルスへの対応をいきなり迫られた中でやむを得ない面もあったであろうが、本ワークショップは、特に、メディアの対応に欠けていた視点を探ることを目的とする。
 具体的には、問題提起者の一人で、放送局で報道や内部監査部門に従事した経験がある稲井が、新型コロナウイルスをめぐる報道を概観する。
 もう一人の問題提起者、長浜は厚労省所管の独立行政法人で医療体制整備に携わり、臨床現場に詳しく医療ビッグデータの分析研究を続けており、報道であまり伝えられなかった医療体制の問題点を具体的に提示するとともに、医師の立場から一連の報道に抱いた違和感を提示する。
 さらに稲井は、2019年の本学会ワークショップで提示した内部監査の手法を応用したジャーナリズム理論を援用し、報道現場が抱える課題を抽出する。
 本ワークショップは報道と医療それぞれの現場出身者から問題提起を行うため、司会者として日本新聞協会の阿部を配置し、参加者の方々と有益な議論を深めていきたいと考える。


ワークショップ4

「戦争の記憶と記録」の現在地
――メディアと戦後76年間の「継承」を問う

司会者: 水島 久光 (東海大学)
問題提起者: 米倉 律 (日本大学)
討論者: 福間 良明 (立命館大学)
〔企画: 水島久光会員〕

【キーワード】 15年戦争、記憶の継承、戦後精神史、戦時体験のメディア表象

 本ワークショップは、76年前に始まる「戦後」に生まれた世代が、戦禍からの距離や時間を、いかに認識し、語り、記憶し、痕跡を保全してきたかについて、この時代に生きる当事者として再確認し、対自化する(自らの問題として引き受ける契機とする)ことを目的にしている。
 「終戦」から四分の三世紀を経たメモリアルとしての2020年は、コロナ禍とオリンピックの延期によって、ある意味我々に立ち止まる機会を与えてくれたといえよう。直接の体験者(語り手)なき時代に、残された記録、言説、象徴的事物などを手掛かりにして、「戦後史」を読み直し、「戦争」を焦点化する方法を提起する――奇しくもこの一年においてはそうしたアプローチの著作が次々と刊行された。その中でも水島久光『戦争をいかに語り継ぐか-「映像」と「証言」から考える戦後史』(2020年6月、NHK出版)、福間良明『戦後日本、記憶の力学―「継承という断絶」と無難さの政治学』(2020年7月、作品社)、米倉律『「八月ジャーナリズム」と戦後日本―戦争の記憶はどう作られてきたのか』(2021年7月、花伝社)の三冊(刊行順)は、戦後第一~第二世代に共有可能な視座を出発点にしつつも(この三者は1960年代生まれである)、メディア表象に切り込む各々の仮説および採用した手法が、微妙なコントラストを成している。本ワークショップでは、この三冊の「重ね読み」を各々の著者による相互批評を起点に行い、パースペクティブの立体化に挑む。
 三者(三冊)に共通する問題意識は「戦時体験の風化に抗する、記憶の継承」という命題の自明性に対するメタ批判にあるといえよう。福間は「継承」を謳う言説のロジック自体に内包された「断絶」「脱歴史化」を、慰霊空間や映像表現をめぐるポリティクスの中に見出す。米倉はその問題系を、八月に放送されたテレビ番組に主旋律として組み込まれた「受難」の物語の変容として、丹念に時系列を追う。水島はそうしたメディア表現が社会的コミュニケーションの非対称性に覆われている点に注目し、そこに「戦争」そのものを「終わらせる」ことができない原罪を指し示す。三者三様の(歴史社会学、ジャーナリズム、情報記号論)アプローチではあるが、その先には間違いなく共視すべき未達のアジェンダを仮置きできる――それは何か。著者たち自身の「対話」を通じ、視差を明らかにして、そこから目標に接近すべき道を提案したい。
 「戦争」を論じる困難は、その全貌を捉えることの不可能性に専ら由来する。「体験者」の「証言」「手記」に多くを依存してきたこと、「被害」と「加害」に単純化できない心性と正統性の危機、「平和」の概念が美化・モノローグ・思考停止に加担してきたことなどを指摘する三者それぞれの仕事には、資料(史料)とそれを読む主体の関係性への問いが共に深く刻まれている。資料(史料)へのアクセス(アーカイブ)環境が整備されることがその大前提ではあるが、それ以上に戦後世代の研究者として、「理論と実践」の接続のありようを一般に開き、再考する場への積極的な関わりを求める努力が不可欠となる。そこで本ワークショップでは、「問題提起」「討論」という旧来の枠組みを外し、オープン・ダイアローグ(Seikkula and Arnkil 2006)の理念を踏まえて、段階的に応答関係を広げていく討議デザインも試みる。多くの同年代からさらに若い世代の会員の参加を期待したい。


ワークショップ5

東アジアの反日主義とメディア文化

司会者: 伊藤 昌亮 (成蹊大学)
問題提起者: 倉橋 耕平(創価大学)
討論者: 崔 銀姫 (佛教大学)
討論者: 玄 武岩(北海道大学大学院)
〔企画: ネットワーク社会研究部会〕

【キーワード】 反日主義、東アジア、ポストコロニアル、メディア文化

 今日のネットワーク社会を捉えるうえで、そこで生起しているさまざまな社会運動とメディア文化との関わりに目を向けることは重要なことだろう。その際、それらの動きを複眼的に、かつ広域的に捉えるために、ネットワーク社会研究部会では今期、「東アジアの運動と文化」という統一テーマを設定している。第一弾として本企画では、東アジアの「反日主義」について取り上げたい。
 本企画で取り上げる「反日」というキーワードは、東アジアの社会運動の一つの軸となってきたと同時に、日本では右派運動のジャーゴンとして流用されてきたという経緯がある。この問題に直接言及したレオ・チンは(『反日−−東アジアにおける感情の政治』人文書院、2021年)、ポストコロニアル東アジアにおける社会不安や政治的懸念が「反日主義」の形で表出する原因を、帝国日本の脱植民地化/脱帝国化の失敗と近年のグローバル資本主義下での中国の台頭に見ている。そして、その「反日主義」は、東アジア各地域の植民地主義とその前後の歴史のなかで構築されたものであり、そのあり方を分析している。
 同書『反日』の監訳者であり、今回の問題提起者を務める倉橋から、第一に、公式の言説とは異なり、集団的な不安や欲望と植民地差異が現れる大衆文化に着目しながら東アジアの「反日主義」を論じるレオ・チンの議論を紹介する。そして、第二に、レオ・チンの議論では言及されていない、日本の右派運動における「反日」現象を分析する。日本において「反日」とは、従来、東アジア諸国など外部の存在を名指し非難する際に使用されていた。しかし近年、「反日日本人」のように国内の存在を指す際にも使用されている。これは、東アジアの「反日主義」とどのように関係しているのか。以上の2点の関係性に注目することで、東アジアの「反日主義」の本質、それへの日本側の向き合い方とその問題点などを討論者との間で議論し、(レオ・チンの議論も批判的に扱いながら)東アジアの「反日主義」を問う今日的な意義を明確にしていきたいと考えている。
 討論者の崔銀姫と玄武岩は、それぞれ『「反日」と「反共」』(明石書店、2019年)、『「反日」と「嫌韓」の同時代史』(勉誠出版、2016年)という著作を出版し、この問題に関してアクチュアルな話題も射程に収めつつ、先鋭的な研究を続けてきた。主として歴史を見直す方法から、東アジア地域の脱植民地化・脱帝国化の問題と、その問題を抱えたなかで普及するメディア文化を含めた「反日主義」の表象のされ方や政治的な位置付けなどについて多角的に討論を行う。
 冒頭で触れたように、本企画はネットワーク社会研究部会における「東アジアの運動と文化」という統一テーマの中に位置付けられるものである。そのため、若干「大風呂敷」ではあるが、今後の議論の基礎となる大きな枠組みと課題を共有する場となることを意図している。翻って、本企画を起点とする今後の議論が、ポストコロニアル東アジア社会のあり方を考えるための新たな契機となることを期待したい。


ワークショップ6

テレビ・ドキュメンタリーに未来はあるか?
――世代、地域、メディアを越えて

司会者: 西村 秀樹 (元近畿大学人権問題研究所)
問題提起者: 七沢 潔 (NHK放送文化研究所)
討論者: 小黒 純 (同志社大学)
〔企画: 小黒純会員〕

【キーワード】 テレビ・ドキュメンタリー、テレビ離れ

 テレビ・ドキュメンタリーを見つめ直し、どうしたら重要な社会的機能が世代、地域、メディアを超えて発揮できるようになるのかを考察する。社会的機能が果たせていないとしたら、何が足かせになっており、自由になるには何が求められるのか。参加者とともに、忌憚のない討論を行い、次世代に開かれたテレビ・ドキュメンタリーの新たな形を模索したい。
 そもそもテレビ・ドキュメンタリーとは何なのかを、あらためて議論しておく必要があるだろう。例えば、スタジオでの出演者らのトークを挟んだフォーマットはドキュメンタリー番組と言えるのだろうか。今後の可能性を考えるとすれば、「そもそも論」は避けて通れない。
 テレビ・ドキュメンタリーの社会的機能についても、さまざまな議論がある。そのひとつが権力監視であることは、論を俟たない。「調査報道型」の多くが、公権力に対する監視やチェックの役割を果たしている。例えば、南海放送による『放射線を浴びたX年後』シリーズは、伊東英朗ディレクターが15年以上にわたり、太平洋の核実験で被ばくしたマグロ漁船の船員らのその後を追う一方で、政府の無策ぶりを追及したものだ。
 その一方、「認識の社会的共有」や「集合的記憶の醸成」など、ドキュメンタリーにはもっと基本的な広い役割があるとする見方もある。確かに、社会派ドキュメンタリーには、公権力に対する監視や批判という面よりも、市民の日常を時にほのぼのと描いた作品も少なくない。番組を見れば、こういう人たちがいる、こんな日常がある、という認識の共有や、記憶が形成されていくことを実感できるだろう。
 このような民主主義社会の形成には欠かせない社会的機能が、テレビ・ドキュメンタリーの中に確認できるとしても、放送枠の多くが深夜や未明に置かれていることからも分かるように、視聴率が低迷しているという現実がある。特に、若い世代からは敬遠されている。
 問題提起者の七沢潔は自ら、NHKのテレビ制作現場が長く、『NHKスペシャル』や『ETV特集』などで、数々のドキュメンタリー番組を手掛けてきた。ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図』など。また、テレビ・ドキュメンタリーの制作者に焦点を当てた研究には、『テレビ・ドキュメンタリーを創った人々』(NHK放送文化研究所、2016年)などがある。
 七沢は今回、テレビ・ドキュメンタリーの課題と可能性について問題提起する。七沢はとりわけ、若手の制作者によるドキュメンタリー作品に注目している。例えば、本土から来た15歳の少女の目を通して沖縄の基地問題を見つめなおした『ちむぐりさ~菜の花の沖縄日記~』(「地方の時代」映像祭グランプリ、民放連賞報道部門優秀賞など受賞)、新型コロナウイルス感染が招いた事態に苦悩する非正規労働者や飲食店、風俗業界で働く人々の実相を撮ってSNSメディアに連載し、それを番組化した『東京リトルネロ』(貧困ジャーナリズム賞受賞)、コロナ禍で日常生活が一変した中国・武漢の市民を描いた『封鎖都市・武漢~76日間・市民の記録』(早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞)などである。これらの事例を取り上げながら、制作現場が直面する課題に斬り込む。
 七沢には「調査報道型」の番組を多く残しているが「権力監視を第一に制作してきたとおいう意識はない」と語る。七沢が考えるテレビ・ドキュメンタリーは何なのか。そして、ネットメディアの隆盛に生き残るドキュメンタリーはどのようなものなのか。若手の作品に注目しながら、その可能性を語る。
 七沢の問題提起を受けて、討論者の小黒純は、実力派の制作者16人に関するオーラル・ヒストリー研究を踏まえ、さらにフロアからの意見を受けながら、議論を深めるファッシリテーター役を務めたい。世代、地域、メディアを越えて、テレビ・ドキュメンタリーの未来はあるのか。


ワークショップ7

取材規制を考える
――北海道新聞記者逮捕事件を契機に

司会者: 本間 謙介(⽇本⺠間放送連盟)
問題提起者: 韓 永學(北海学園⼤学)
討論者: 湯本 和寛(信越放送)
〔企画: ジャーナリズム教育・研究部会、メディア倫理・法制研究部会〕

【キーワード】 取材の自由、ジャーナリズム倫理、メディア特権、メディア・アカウンタビリティ

 旭川医大の学長不祥事と学長交代、大学の対応を取材していた北海道新聞の記者が、学長選考会議の開催されている会議室外の廊下で職員に取り押さえられ、警察に引き渡される「事件」が2021年6月に起きた。法律上は、私人による現行犯逮捕手続きである。記者はその後釈放され、現在は取材に復帰し通常の活動に戻っているが、事件が報道現場に与えた衝撃は大きく、取材活動の萎縮・過度な自主規制や、「不都合な取材」の強権的な排除の横行などが強く懸念されている。
 本件は、記者が社会問題を適切に掘り起こし正確に伝えるため、取材でどこまでの行為が許されるのかという法、倫理、社会的理解の各観点における問題や、旭川医大職員が記者を取り押さえ警察に引き渡した行動はどこまで正当化できるか、といった論点が浮き彫りになった。また、取材という正当行為への業務妨害や法的嫌がらせ(リーガルハラスメント)といえないか、警察がその後2晩にわたり記者を拘束し続けたことは正当なのかといった、記者の取材への威嚇・妨害や記者の萎縮の問題もあると考えられる。
 他方、北海道新聞社は、「従業員が業務遂行の過程で逮捕された雇用主」「従業員が業務遂行の過程で旭川医大とトラブルを起こした一方当事者」「ジャーナリズムの主体」といった立場であり、取材行為や記者本人を適切に擁護していると言えるのか、旭川医大や警察にどう対応するべきか、萎縮的な対応に追い込まれているおそれはないか、などメディア企業の姿勢の問題もあろう。さらには、ジャーナリズム界はどこに向けてどのように対応するべきか、ソーシャルメディア(SNS)を中心とした「法は守れ」「迷惑を掛けるな」といったメディアへの「分かりやすい」反感とその浸透および、それにジャーナリズム界がどう向き合うべきかという問題も含まれるなど、多岐にわたる検討を要する課題となっている。
 今回の問題となった取材は、日常的にあり得る場面でもあり、実務家の観点からは、「招かれざる取材」全般に著しい萎縮効果が起きているという指摘もある。本ワークショップは研究者と実務家を結びつつ、多角的な検討を行うことを予定している。ただし、時間が2時間弱と限定されていることもあり、ここでは、(1)立入取材(無断の建物侵入を含む)、(2)壁耳取材(無断の録音を含む)の法的・倫理的課題という2つの点に絞り、これに対する現場の実情を踏まえたうえで、フロアを交えて議論を進めることとする。さらに、両テーマに関わる中で、北海道新聞社の対応(アカウンタビリティ)についても議論の対象としたい。
 なお、本テーマは企画の段階で、2つの研究部会が同時並行で近接のテーマ設定をしたことから、合同での開催とした。当日は、問題提起と現場からのコメントを受け、フロアの皆さんの積極的な参加により、濃密な議論が展開されることを期待している。


国際シンポジウム / International Symposium

東アジア圏のメディア/ジャーナリズム研究と交流の意義
――学会70周年を記念して

キーノートスピーカー: 伊藤 守 (学会長、早稲田大学)
報告者: Anthony Fung (香港中文大学)
報告者: Dal Yong Jin (Simon Fraser University)
報告者: Jihyang Choi (梨花女子大学)
報告者: 林 香里 (東京大学)
〔※報告順は未定〕
司会者: 黄 盛彬(立教大学)、李 美淑(立教大学)

 本学会は、1951年に発足してからちょうど今年で70年を迎え、また「日本新聞学会」から「日本マス・コミュニケーション学会」に名称変更してから30年が経過した。そして、本学会は2022年に「日本メディア学会」に名称変更する。この名称変更を一つ契機として、日本におけるメディア研究ならびにジャーナリズム研究をより一層活性化するために、学会の実質的な改革、学会のアイデンティティにかかわる重要な転換点となることが期待される。
 その転換のための重要な軸として、メディア、コミュニケーション環境のみならず、研究・学術ネットワークの国際化・グローバル化への対応がある。グローバルな情報ネットワークの発展は、画一的なメディア環境を構成しているわけではなく、各地域の、各国の経済的・政治的・制度的な文脈に規定されながら、独自の社会的コミュニケーションの様態とメディア環境を作り出している。とりわけ、香港、中国、台湾、韓国、日本といった東アジア圏におけるメディア文化の交流が多くの研究者の間で注目されていることは周知のことがらである。また、もっぱら英語化という指摘もあるものの、教育・研究・学術活動における国際化・グローバル化は急速なスピードで進んでいる。そうした中で、本学会および学会員の国際的な研究協力、交流活動も着実に行われており、学会としては、4半世紀に及び、25回まで重ねてきた日韓国際シンポジウムの取り組みがあり、英文ジャーナルの発行の実績もあるが、グローバル規模で進んでいる動向を鑑みると、さらなる取り組みが必要であることは言うまでもない。
 今回の国際シンポジウムでは、まず、伊藤会長の基調スピーチに加え、海外において、それぞれ香港、カナダの大学に所属しながら、東アジア圏におけるメディア状況についての研究に取り組んできた研究者をお招きして、これまで取り組んできた研究交流について、また、これからの研究協力、交流の可能性や意義について語っていただく予定である。本学会からは、国際研究協力の経験豊かな林会員に報告いただき、最後に、登壇者全員にて討論を深めていきたい。
 なお、本シンポジウムはZoomによるオンライン双方向会議として、日英の同時通訳付きで行われる。

Media and Journalism Studies in/on East Asia:
The Importance of International Research Exchange and Collaboration

Keynote speaker: Mamoru ITO (Waseda University)
Panelist: Anthony FUNG (The Chinese University of Hong Kong)
Panelist: Dal Yong JIN (Simon Fraser University)
Panelist: Jihyang CHOI (Ehwa Women's University)
Panelist: Kaori HAYASHI (University of Tokyo)
Moderator: Misook LEE (Rikkyo University)
Moderator: Seongbin HWANG (Rikkyo University)

   It has been 70 years since the Japan Society for Journalism Studies started in 1951, and 30 years have passed since the name was changed to the Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. Then, next year, it will be reborn as the Japan Association for Media, Journalism and Communication Studies (JAMS). With this opportunity, we expect to have a turning point to rejuvenate our research activities significantly.

   An important axis for this shift is the dramatic changes in media technology and the globalization of research and academic networks. The development of global information networks does not constitute a uniform media environment. Each region creates a unique social communication style and media culture, defined by economic, political, and institutional contexts. In particular, the widespread circulation of media and popular culture and the challenges facing journalism in East Asia, including Hong Kong, China, Taiwan, South Korea, and Japan, have attracted many researchers, including those from Europe and the United States. With the growing attention to the East Asian region, research cooperation and exchanges among researchers are becoming more active and important, while globalization is deepening even more rapidly in the fields of research and education. Under such circumstances, the Society's international research collaboration and exchange activities are steadily being carried out, including the Society's commitment to the Japan-Korea International Symposium, held up to 25 times since 1990. Nevertheless, further efforts are essential given the ongoing trends on a global scale.

   At this international symposium, in addition to the keynote speech by Ito, Mamoru, the president of this Society, we invited researchers from overseas who have been engaged in research on the media situation in the East Asian region while working at universities in Hong Kong, Canada, and South Korea, respectively. They will talk about the research collaborations and exchanges they have been working on and the possibilities and significance of future research cooperation and interaction. Then, professor Hayashi, Kaori will share her experiences in international research collaboration and discuss the issues raised by the keynote speaker and panelists. Finally, we will deepen the discussion with all the speakers. This symposium will be held as a two-way online conference by Zoom with simultaneous interpretation in English and Japanese.


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