2026年 春季大会ワークショップ開催記録

2026年春季大会で開催されましたワークショップの開催記録を掲載いたします(更新日:2026年7月29日)。

ワークショップ1
メディア・テクノロジーとジェンダー ワープロを事例として

  • 司会者:新倉貴仁(成城大学)
  • 問題提起者:石田夏月(京都大学大学院 院生)
  • 討論者:彭永成(桃山学院大学)
  • 企画:社会研究分科会 メディア産業・技術研究プロジェクト
  • 参加者:30名

「開催記録」

 本ワークショップ「メディア・テクノロジーとジェンダー――ワープロを事例として」では、ワープロを題材として、メディア・テクノロジー、ジェンダー、産業の関係を探求した。新たなデジタル・メディアを使うためのスキルは、いかにジェンダー的な差異と結びつきながら構築されるのか。
 石田夏月会員(京都大学大学院)の問題提起では、第一に、ワープロの普及過程における、機械そのものの物質的変化はどのようなものであったか、第二に、いかなる過程によって、ワープロを使うためのスキルがジェンダー化したのか、そして、それは仕事のジェンダー規範とどのように絡み合っていたかが探求された。この問題提起に対して、彭永成会員(桃山学院大学)がリクルートの雑誌『とらばーゆ』を素材として、ワープロというメディア技術を、1980年代から90年代にかけての働く女性や資格といった社会史的の中に組み込んで記述しなおすことを試みた。
 会場からの質疑では、ワープロの歴史が従来のコンピューターの文化史をより豊かにする可能性をもつことが指摘されたうえで、他のパソコン雑誌との比較の可能性についての質問がなされた。また、ワープロに適応できなかった女性はどのように表象されていたのかという問いが投げかけられた。さらに、和文タイピストのような、それまでの浄書文化との連続性との関係についての質問や、他のプログラマーやSEといった職種との区別についての質問がなされ、それぞれ豊かな対話が重ねられた。また企画全体に対して、これまでメディア研究が培ってきた表象分析の利点が失われ、技術決定論に陥る可能性がないのかという指摘もなされた。本プロジェクトは、「インフラストラクチャー」をめぐる研究に包摂されるものであり、「インフラ」、すなわち、知覚されていない、隠されているものへと光をあてることを通じて、表象と技術の新しい関係性を切り開いていくことができればと思う。会場には約30名の参加者があった。

ワークショップ2
記念館はいかに特攻の記憶を構築するのか:
筑波と知覧にみる展⽰・メディア・慰霊の差異

  • 司会者:佐藤信吾(早稲田大学)
  • 問題提起者:沢木瑛美(佛教大学大学院 院生)
  • 討論者:水島久光(東海大学)
  • 企画:崔銀姫(佛教大学)
  • 参加者:18

「開催記録」

 近年、日本では特攻に関する記念館の新設や再編が進み、太平洋戦争の記憶の継承が新たな段階を迎えている。本ワークショップでは、映画『永遠の0』を契機に設立された筑波海軍航空隊記念館(茨城県笠間市)と、慰霊を中心とする知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を比較し、それぞれがどのように異なる特攻の記憶を構築しているのかを検討した。筑波は戦争遺跡や映画との結びつきを生かし、体験型展示を通じて戦争を身近な歴史として伝える一方、知覧は遺書や遺品を中心とした静謐な展示によって、特攻隊員への慰霊と平和への思いを喚起する場となっている。本ワークショップでは、①両館がどのような社会的背景や展示手法を通じて集合的記憶を形成しているのか、②映画などのメディアが来館者の特攻像や展示解釈にどのような影響を与えているのか、という二つの論点を中心に議論した。さらに、メディアによって形成されたイメージが地域固有の戦争史を見えにくくし、歴史認識に影響を及ぼす可能性にも着目し、戦後80年を迎える現在、特攻の記憶をいかに継承し、多様に語り続けるべきかを多角的に考察した。
 問題提起者の沢木瑛美氏(佛教大学大学院)は、筑波と知覧の二つの記念館でのフィールドワークの成果を発表した。特攻基地として使用されなかった筑波と、使用された知覧では記念館の成立の過程が大きく異なる。映画や戦跡といった観光要素を取り込む筑波は、慰霊が前面化しておらず、沢木氏によると特攻の記憶を多様な仕方で受け止められる空間である。筑波の展示の特徴は、その「明るさ」にあるとも言える。一方で知覧は、暗い館内や遺書と遺影の前景化といった要素から、慰霊・顕彰の空間としての性格が強くなっている。周辺に戦跡やロケ地が多い筑波と、周辺が慰霊碑や灯籠で満たされている知覧とは、「明るさ」と「暗さ」の明瞭な対比が見られる空間である。さらに沢木氏は、映画との関係を軸に筑波と知覧の差を分析した。筑波は映画が記念館の成立を方向づけたものの、現在では展示の解釈との接続性が弱くなっている。一方で知覧は映画的なものを館内から排除しているにも関わらず、映画的な理解が展示の解釈に還流する構造がある。
 それに対し、討論者の水島久光氏(東海大学)は、戦後81年を迎え、戦争の記憶は体験者の証言に依拠する「語りの時代」から、膨大な記録を歴史資料として読み解く「アーカイブの時代」へと移行しているとした。水島氏は、単に「語り継ぐ」ことを目的化するのではなく、何を、誰が、どのように語り継ぐのかを問い直す必要があると指摘する。特に「慰霊」は死者を悼むだけでなく、その死に意味を与える営みでもあり、ときに支配的な物語へ回収される危険性を伴う。また、特攻は戦後に形成された物語によって現代人が共感しやすい象徴となった一方、戦争を支えた社会構造や歴史的文脈を見えにくくしてきた。水島氏は、集合的記憶や歴史叙述、物語論に関する理論を踏まえ、ホロコーストと沖縄戦とを対比させながら、表象の限界や歴史を語る主体の問題を検討した。その上で、史料と現場を往還しながら「物語」と「歴史」を架橋し、非体験者が主体的かつ批判的に戦争の過去と向き合うことこそが、これからの歴史継承の課題であると論じた。
 この水島氏のリプライに対して、沢木氏はパンフレットや学芸員へのインタビューから、「慰霊」というコンセプトの難しさや、「慰霊」よりも「語り継ぐ」といった文脈の前景化について紹介した。また特攻の記憶の中にも、「饒舌」と「寡黙」が併存していることを説明し、それが記念館や映像の各所に現れていると説明した。これに続いてフロアからのコメントが続いた。具体的には特攻の記憶を著名なものとする基盤に遺書があることの問題性、記念館が置かれた政治的な文脈に関する質問などが繰り出されるなど、活発な質疑応答が続いた。このように本ワークショップは盛況のうちに幕を閉じた。

ワークショップ3
宮城県知事選挙における偽情報拡散への対応に関するロー
カルメディアの取り組み

  • 司会者:安藤歩美(TOHOKU360)
  • 問題提起者:樋口喜昭(東海大学)
  • 討論者:漆田義孝(NPO法人メディアージ)、大泉大介(河北新報社)、
        古田大輔(日本ファクトチェックセンター)
  • 企画:文化研究分科会 マス・メディア文化プロジェクト
  • 参加者: 50

「開催記録」

 本ワークショップでは、2025年宮城県知事選での偽情報拡散に地域メディアがどう対応したかを検証した。司会は安藤歩美会員(TOHOKU360)、問題提起者・樋口喜昭会員(東海大学)、討論者は台風のためオンライン参加となった、古田大輔氏(日本ファクトチェックセンター編集長)、大泉大介氏(河北新報社)、漆田義孝氏(NPO法人メディアージ)であった。
 はじめに、問題提起者の樋口会員から、2025年宮城県知事選では偽情報が多く拡散されたが、それらに対してローカルメディアである河北新報とNPO法人メディアージが行ったファクトチェックの詳細について説明があった。そして、1)地域メディアは偽情報対策に何を準備しておくべきか、2)記者個人の力に頼りすぎない仕組みをどう構築したらよいのか。3)自治体やメディア連携の可能性、4)ファクトチェックの表現方法についての問題提起があった。これに対し、討論者の古田氏は、能登半島地震での事例を挙げつつ「局地的に拡散する偽情報は地域でしか対抗できない」と強調し、フィリピンの「ファクト・ファースト(FactsFirstPH)」やEUの「EDMO」など連携の海外事例を紹介した。宮城県が主導し進めている「選挙期間中の情報流通の諸課題への対処に関する検討会」については、「行政がファクトチェックすべきではない。自分たちの都合の悪いことを恣意的に選んで検証する可能性が非常に高くなる。行政がやるべきことはまず正確な情報発信をわかりやすく積み上げて、ウェブサイトですぐ見つけやすくすることだ」と答えた。河北新報の大泉氏は、2024年兵庫県知事選での「対岸の火事では済まされない」との危機感から「かほQチェック」を立ち上げた経緯を説明。真偽判定(レーティング)は行わず事実関係・背景を解説する(解説型)で7本の記事を掲載し、複数日にわたりアクセスランキング上位を獲得した一方、執筆はほぼ記者1名が担うという属人化の課題も明らかになった。メディアージの漆田氏は、独自設計の6段階判定基準(事実・解釈の余地あり・誇張表現・デマ・根拠なし・誹謗中傷)(判定型)でSNS拡散画像や街頭プラカードを網羅的に検証、noteで公開したことの説明があった。
 全体討論では、解説型は正確だが拡散力が弱く、判定型は拡散しやすいが批判リスクがあるという表現手法のジレンマ、両メディアとも担い手が実質1名にとどまる持続可能性の課題、地元紙・地域NPO・大学・全国メディアが連携する「宮城モデル」構築の必要性が論点として浮上した。ただし現時点では具体的な組織化には至っておらず、来年の統一地方選に向けた対応が今後の課題として残された。

ワークショップ4
都市・地域の中のゲームセンター——
「周縁化」された「ゲーム経験」から考える

  • 司会者:永田大輔(浦和大学)
  • 問題提起者:久保友香(メディア環境学者)、ボトス・ブノワ(慶應義塾大学)
  • 討論者:塚田修一(相模女子大学)
  • 企画:公募研究統括分科会 メディアミックスと産業研究
  • 参加者:28

「開催記録」

 本ワークショップでは、多様なメディアミックスの拠点としてのゲームセンターについて、これまでの研究では周縁化されることの多かった2つの領域に焦点を当てて、ゲームセンターという空間のメディア論的な可能性を検討した。
 問題提起者の1人目であるボトス・ブノワ会員は、クレーンゲーム、とりわけぬいぐるみキャッチャーを対象として、1980年代末から1990年代前半のブームに関する分析やメディア考古学的考察について報告した。さらに、日本のゲームセンター言説にてサブカルチャー的・オタク的対象を特権化する「神話的ゲームセンター」が形成されていることが、ゲームセンターの実態の歴史的・現在的な理解を妨げている可能性も指摘した。
 問題提起者の2人目である久保友香氏は、ゲームセンターの中のプリントシール機(プリクラ)の展開について、自撮り・加工とコミュニケーションの2点から報告した。前者については開発現場とユーザーの相互作用の中で発展したこと、後者についてはプリ帳などを用いた共有の実践がユーザー側から生まれ、プリクラを通して女性同士の限定的なネットワークが形成されていたことが示された。
 両名の報告を受けて、討論者の塚田修一会員は、それぞれの対象へのローカリティの現れ方の差異を指摘しつつ、ゲームセンターにおけるビデオゲーム的なゲームの典型である「格ゲー」と「クレーンゲーム」の同居や「主役」交代の状況をいかに捉えることができるか、また、プリクラとジェンダーや平成文化との間にいかなる関係を見出せるのかという論点をそれぞれ提示した。さらに全体に向けて、ゲームに内在しながら社会や都市を論じる、ゲーム「からの」社会学・都市論の可能性を検討することを提案した。
 その後の全体討論では、ゲームセンター外部への拡張や、クレーンゲームのDIY的要素、プリクラのものづくりとしての側面やシールの物質性、ゲームセンター内部での筐体の配置といったフロアからの質問に答えるかたちで、活発な議論が行われた。最終的に、今後もゲームセンターに関わるアイデアの共有や検討を継続していく意義や、既存研究で見落とされがちな対象や研究をメディアミックスの観点から結びつけて考えていく重要性が確認された。

ワークショップ5
女性と宗教をめぐる今日的問題とジャーナリズム

  • 司会者:李美淑(東京大学)
  • 問題提起者:櫻井義秀(北海道大学)
  • 討論者:菊地夏野(名古屋市立大学)
  • 企画:ジェンダー/ダイバーシティ分科会
  • 参加者:22

「開催記録」

 本ワークショップでは、安倍元総理襲撃事件を契機として明らかになった宗教団体と政治家との「癒着」という政治問題にとどまらず、女性と宗教、政治と宗教との関係に着目することで浮かび上がる社会の基底的な問題について検討した。また、この問題をめぐるジャーナリズムや報道のあり方が、こうした課題を捉える上でどのような役割を果たしてきたのかについても議論を行った。
 はじめに、宗教社会学を専門とする櫻井義秀氏から、統一教会に関する基礎的な説明が行われた。韓国の「統一教」と日本の「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の関係、山上裁判の判決に欠落している視点、統一教会とジェンダー秩序などについて整理がなされた。統一教会とジェンダー秩序をめぐる議論では、女性と男性とで信仰を持つ動機に非対称性がみられることが指摘された。すなわち、女性は家族や先祖の救済といった「家族」のための信仰が中心である一方、男性は探究心や自己の救済など「自分」のための信仰を動機とする傾向があるということが示された。また、安倍元総理襲撃事件を契機とした一連の報道を踏まえ、従来、宗教がメディアにおいてある種のタブーとして扱われてきたことを指摘した上で、宗教報道においては「旬」にとらわれないこと、「絵になる」ことを優先しないことの重要性が提起された。
 続いて、ジェンダー研究を専門とする菊地夏野氏から、フェミニズムの観点から統一教会とジェンダー、統一教会の政治性について議論が行われた。統一教会の問題は女性に対する暴力やセクシュアリティの統制として理解すべきである一方、そのような問題に対しては、フェミニズムからもジャーナリズムからも十分な批判が行われてこなかったとの指摘がなされた。また、宗教、政治右派、ジェンダーの問題は相互に複雑に結びついていることを前提に、ネオリベラリズムと保守主義には女性を抑圧・統制する世界観が共通してみられること、さらに宗教右派とも異性愛・生殖を規範化する思想という点で連続性があることが指摘された。すなわち、女性と宗教をめぐっての問題の本質には、女性を抑圧し・利用するネオリベラル・ナショナリズムがあることが示唆された。
 その後の質疑応答では、メディア関係者から「なぜ女性が統一教会に入信するのか理解できず、踏み込んだ報道が難しい」といった問題提起がなされたほか、統一教会以外の宗教にも同様の傾向がみられるのか、女性にとって宗教が居場所となる背景は何かといった質問やコメントが寄せられた。会場との活発な議論を通じて、宗教、ジェンダー、政治、メディアの相互関係について理解を深める有意義な機会となった。

ワークショップ6
1990年代のDTM環境をめぐる「互換性」の問題——
メディア研究とポピュラー音楽研究の交差する観点から考える

  • 司会者:吉光正絵(長﨑県立大学)
  • 問題提起者:谷口文和(京都精華大学)、日高良祐(京都女子大学)
  • 討論者:飯田豊(立命館大学)
  • 企画:公募研究統括分科会 音楽/テクノロジー/メディア研究会
  • 参加者:20

「開催記録」

 本ワークショップは、『コンピューター・ミュージック・マガジン(以下CMM)』という1990年代のDTM・コンピューター音楽雑誌を共通の分析対象とした谷口文和氏・日高良祐氏の研究をもとに、1990年代のDTM実践における「互換性」をそれぞれの視点から紐解くとともに、現在のメディア史研究への適用可能性を問うものである。
 日高氏は、『CMM』の付録ディスクとそれに関わる誌面の分析を行い、当時の実践環境においてはソフトウェア・ハードウェアの差異による「非-互換性」が当然のものとして存在し、『CMM』がそれを調停するメディアとして機能していたことを指摘した。このようなデジタル音楽実践初期の環境を概観することによって、現代のDTMをめぐる環境が標準化され、互換性の観点がブラックボックス化している状況が逆説的に描き出される。『CMM』のような雑誌を通じて読者はDTM実践を学び、コミュニティを形成していった。だが、標準化に伴いそのようなメディアの調停の機能は不要になっていく。その帰結として現代の環境で後景化しているものを、過去の実践から浮き彫りにする問題提起であった。
 続く谷口氏は、『CMM』および『DTMマガジン』の中での「ユーザー」の声を中心に、彼らが技術的な制約の中で共通の規範を形成していく基盤としての「互換性」に注目した問題提起を行った。当時はMIDI規格の階層やオーディオ音源の普及によって聴取可能性の差異が生まれ、そのような技術的な制約がユーザーの作曲実践における「音楽の質」の評価に接続されるという現象が起こっていた。つまり、互換性に制限があることで、誰もが共通して聴取可能な規格の中で音楽を作曲することに価値を置くユーザーの集団と、新しい技術を取り入れることでより自由な音楽制作を志向するユーザーの間で価値をめぐる文化的闘争が生じるのである。このことから、テクノロジーの受容過程はユーザーがどのように使うかによってその規範意識を変える、ユーザーとテクノロジーの相互作用というダイナミズムの中で理解することができるという提起が行われた。
 これらの問題提起を受け、討論者の飯田氏は両者の発表における互換性のアプローチを整理したのち、主に当時と現在のメディア史研究の可能性について議論を行った。1990年代は「雑誌の時代」として、雑誌とその購読者の共同体が文化を牽引していた時代であり、だからこそ雑誌の分析によって当時の文化動向を確認することが可能であった。しかし、2000年代以降は雑誌の権威性が希薄化している。現代の「ポスト雑誌時代」ともいうべきメディア環境でどのように文化を描き出すかという方法論について議論が開かれた。
 フロアからは、当時の国内外の互換性のアクチュアリティを多角的に問う質問や、雑誌というメディアの文化をどのような文化的差異の連関の中で捉えるのかという質問など、幅広く活発な議論が行われた。また、雑誌にとどまらず、DTM実践による音楽をパフォーマンス史から捉えるなど、新たな研究領域の可能性も示唆された。

ワークショップ7
デジタル空間におけるアイデンティティ——
アバターのファッションと「かわいい」の観点から

  • 司会者:梶本尚敏(ココネ研究所)
  • 問題提起者:菊地映輝(武蔵大学)、 山内萌(ココネ研究所)
  • 企画:山内萌会員
  • 参加者:
  • 企画要旨(※以下は企画要旨です。開催記録が届き次第掲載します。)

 メタバース市場は世界的に拡⼤しており、総務省の情報通信⽩書は⽇本においても2028年度には1兆8,700億円まで拡⼤すると予測している。VR・AI技術の発展、メタバースの認知向上に伴い、今後もこの流れはどんどん加速していくだろう。
 メタバースをはじめとするデジタル空間におけるコミュニケーションは、現実の⾝体とは異なるアバターを通じて⾏われる。このアバターの利⽤という特性がゆえに、デジタル空間におけるコミュニケーションは我々の⾃⼰認識に⼤きな変化をもたらす。このことを⽰す例としては、VR内でのアバターの容姿や特性がユーザーの⼼理や振る舞いに影響を及ぼすという「プロテウス効果」がよく知られているだろう。デジタル社会において多元化するアイデンティティを理解するためには、このアバターの影響に着⽬する必要がある。
 近年、アバターに関連した研究は急速に増えており、アバターを通じたコミュニケーションやアイデンティティに関する研究も登場している。しかし、特にアバターのファッションに着⽬し、ユーザーの⾃⼰呈⽰とどのように関わっているか検討する研究はまだ少ない。
 報告者たちが所属するココネ研究所は、デジタル社会の進化と⼈間の本質について探求するためにココネグループによって2025年3⽉に設⽴された。ココネが提供する「ポケコロ」「リヴリーアイランド」などのアバターサービスはかわいらしいキャラクターデザインと世界観が特徴であり、ユーザーからの⽀持を集めている。アバターに着せ替えできる服もかわいらしいデザインのものが多く、「量産型」「地雷系」ファッションと近接する。
 本 WS では、このココネグループが⼿がけている着せ替えアバターの事例を⾜掛かりにしつつ、ユーザーがかわいらしいファッションをアバターに着せることが、⾃⾝のアイデンティティとどのように接続されているのか検討する。特に、⽇本製の着せ替えアバターアプリを対象とすることで、⽇本特有の「かわいい」とアバターを通じた⾃⼰呈⽰との関連に新たな知⾒を加えることを試みる。
 ⼀⼈⽬の問題提起者である菊地映輝は、「ポケコロ」で遊ぶ8名の⼥性ユーザーに対して半構造化⾯接法を⽤いたインタビュー調査を実施し、ユーザーがどのようにサービス上のアバターと現実の⾃⼰とを関連付けている/付けていないのかを考察する。
 ⼆⼈⽬の問題提起者である⼭内萌は、ポケコロユーザーと「地雷系ファッション」の親和性が⾼い点に着⽬する。⾃撮りを通じた⾃⼰表現が⼀般化した昨今、SNS では地雷系ファッションを通じた「かわいい」による⾃⼰呈⽰とビジュアル・コミュニケーションが観察される。それらと⽐較して、着せ替えアバターにおける地雷系ファッションを⽤いた⾃⼰呈⽰にはどのような特徴があるのか考察する。

ワークショップ8
学会活動におけるダイバーシティ施策——これまでとこれから

  • 司会者:竹田恵子(東京外国語大学)
  • 報告者:田中瑛(実践女子大学)
  • 問題提起者:中野円佳(東京大学)
  • 企画:ダイバーシティ推進WG
  • 参加者:15

「開催記録」

 本WSでは、司会の竹田恵子会員の主旨説明から始まり、次に田中瑛会員が「ハラスメントに関する実態調査を振り返る」と題して報告を行った。同調査は2023年11月21日~12月16日に実施されたもので、調査報告会も2023年3月9日に実施されている。今回の報告は調査結果について、世代、ジェンダー、エスニシティなどの視点からさらなる分析を加えたものであった。
 まず、「当学会におけるハラスメントの経験・目撃」で、査読者や発言者からの全面的な否定や暴言が約37%、「SNSやブログ上での特定の研究成果や分野を貶める発言やそれらの拡散」が約29%であったことが報告された。外国人や外国にルーツを持つ人の経験は、国内出身者と海外出身者との間で大きな違いがある。外国出身者の約33%が差別やステレオタイプな発言を経験しているのに対して、国内出身者でそういった行為を目撃した人は約15%となっており、当事者の経験が認識されない状態となっている。ジェンダー間の認識の相違も大きい。セクシャル・ハラスメントの経験では、いくつかの項目において女性会員の経験比率が男性会員の約2.5倍~7倍であった。留意すべき点は、ジェンダーと直接関係しないハラスメントも女性会員の方がより多く経験しているということである。「特定の大学の学生や研究者であることを理由に無視されたり、ひとくくりにされた」、「勤務形態や年齢によってあからさまに異なる対応をされた」、「本人の意向を無視して、容姿、体型、服装、年齢などを話題にされた」のいずれの項目でも、女性会員の経験比率は男性会員の約3倍となっている。
 続いて、問題提起者の中野円佳会員が、自身の最近の研究成果『日本で女性研究者が増えない理由』(中野編2026)をもとにリプライを行った。まず当学会のダイバーシティ推進の取り組みについて、加害者であることを自覚したり、問題に気づく調査だと一定の評価をしたうえで、ほかの学会にも広がってほしいと述べた。
 報告内容については特に気になった点として、会員の男女差の理由に「女性が参加しにくい雰囲気がある」が28.5%であること、懇親会への満足度が男女間で大きな差があること、田中報告でも指摘された女性の方がジェンダーに限らず、それ以外の要因に基づくハラスメントを受けやすいことの3点を挙げた。それらについて、日本で女性研究者が増えない理由として、現状では、女性にはアディショナルな大変さがつきまとっていること、すなわち女性としての経験やライフイベントを要因とする困難などが指摘された。最後に、女性、若手だけではなく、外国ルーツの研究者のネットワークをつくり、マイクロアグレッションに対し声を上げやすい雰囲気をつくるといった提言や、学会における性差別はどのように可視化されるべきかといった問題提起が行われた。
 参加者によるディスカッションも活発に行われた。とりわけ、査読における暴言や全否定が学会として大きな問題ではないかということが何人もの参加者から指摘された。当学会のこうした取り組みを他の学協会やメディア業界と連携・共有して広げていけないかといった提案も挙げられた。また、ダイバーシティ推進WGの取り組みついて活動やそのプロセスが十分周知されていないという意見もいただいた。今回のWSの結果をダイバーシティ推進WGに持ち帰り、さらなる具体的な施策の実現に向けて取り組んでいきたい。

ワークショップ9
デジタル時代における「新」と「旧」の加速——
地域間比較の視点から

  • 司会者・問題提起者:千葉悠志(京都産業大学)
  • 討論者:工藤文(金沢大学)
  • 企画:国際委員会
  • 参加者:6

「開催記録」

 本ワークショップは、デジタル化がもたらす変化を「新たな局面の形成」と「旧い局面の持続・再創出」という二つの側面から扱うものであり、またそれをとくに中東・中国という二地域の視点から検討するものであった。司会・問題提起者を千葉悠志氏(京都産業大学)が、討論者を工藤文氏(金沢大学)が務め、参加者を交えて議論が行われた。
 千葉氏の報告は、中東のメディアを中心とした研究を振り返ることで、メディアをめぐる評価の基準が「量」から「質」の重視へと変化してきた可能性を論じるものであった。報告では、1950〜60年代の近代化論全盛の時代には普及率という「量」がメディアを測る指標として重要視されていたこと、それが1970~80年代の「情報秩序」についての論争を経て、冷戦終結後は自由をめぐる「質」が評価の主軸となり、中東諸国は「援助の対象」から「批判の対象」へと位置づけが変わった――同時に「救うべき対象」であり続けた――ことが論じられた。2011年の「アラブの春」は一時的にデジタル技術の解放的可能性を印象づけたものの、その後の権威主義体制への回帰は新規の技術が既存の権力構造を補強しうることを示している。千葉氏の報告は、こうした現象を「新」と「旧」の両局面から整理するとともに、「民主主義」対「権威主義」という構図を前提としながら、それをデータで「証明」するような研究に対し、その背後にある政治性を常に念頭に置いておく必要性を指摘するものであった。
 これに対して討論者を務めた工藤氏は、「量」から「質」への転換および、「新」と「旧」に関する問題を中国の事例をもとに検討した。中国のメディアと政治を対象とした研究を振り返ってみても、近代化論的な「量」の時代から、改革開放後の市場化を前後して「質」が問われるようになった可能性があること、その一方で2013年以降の状況を考えた場合には、再び「量」が問われるようになりつつある可能性を指摘した。また工藤氏は、批判的政治経済学の視点による実証研究が蓄積される一方、それもまた「西欧」対「非西欧」という対立軸を維持する可能性についても指摘した。デジタル監視体制は、顔認識やAIなどの技術革新と民間資本の参入によって高度化し、「旧」い党の統制と「新」しいデジタル技術が不可分に結びついている可能性があり、両者を結びつけて考える必要があることを示した。
 工藤氏の報告に続き、参加者を交えて、以上に内容に関する質疑応答が行われるとともに、中東と中国の比較可能性や、体制ではなく越境の視点からメディアを捉えることの可能性について多角的な論点が提起され、議論された。本ワークショップは、「民主主義」対「権威主義」という二項対立を超えた比較分析の枠組みの模索という課題を参加者と共有して閉会した。

ワークショップ10
コミュニケーション効果論(メディア効果論)の再考

  • 司会者・討論者:山口仁(日本大学)
  • 問題提起者:李光鎬(慶應義塾大学)
  • 企画:理論研究分科会 基礎理論研究プロジェクト
  • 参加者:30

「開催記録」

 まず、問題提起者の李会員より、コミュニケーション効果モデルの変遷に関する「6段階モデル(Neuman and Guggenheim)」の紹介と解説が行われた。さらに近年の研究動向を踏まえた李会員独自の調査結果が報告され、効果研究の展開を「8段階」に再整理した体系的な整理が行われた。なおここで提示された「段階」とは、研究動向が全面的に転換するというよりは、それぞれの問題関心が時代とともに積み重なっていく「層」のようなものであるとの注釈も添えられた。それを踏まえて今後のコミュニケーションの効果研究のあり方について示唆に富むコメントが示された。
 李会員の問題提起を受け、山口会員からは、自身の専門のジャーナリズム研究の中で「効果論」とどのように向き合ってきたか、経験談も踏まえたコメントがなされた。また、教育実践の側面から、大学の講義で学生にどう効果論を教えているか、それに対する学生の反応や手応えといった具体的な事例が紹介された。
 続くフロアでの全体議論では、立場を超えた多角的な意見交換が行われた。効果論を専門とする会員からのコメントに加え、他の分野を専門としつつも大学で効果論を講義する会員からの指導上の工夫や課題、さらにはメディア現場で働く会員からメディア効果についての問題意識などが共有された。また、学会に長く所属している会員からは、学会全体の中で効果論の扱いが変わってきたのではないかという、学会の歴史についての興味深いコメントもあった。学術的な論点にとどまらず、教育現場やメディア実務といった日常的な関心事や歴史的背景も含めて、議論が展開された。
 コミュニケーション効果に関する議論は、専門分野の垣根を越え、本学会の会員にとって基礎的なテーマである。今回のワークショップを通して、こうした基礎理論について会員全体で議論を深められる場の継続的な必要性が再確認された。

ワークショップ11
映像ジャーナリズム教育の現在地と未来像

  • 司会者・問題提起者:奥村信幸(武蔵大学)
  • 討論者:池本端(NHK)、高比良健吾(NHK
  • 企画:奥村信幸(武蔵大学)
  • 参加者:25

「開催記録」

 冒頭に企画者の奥村より、大学における映像(ジャーナリズム)制作教育の現状について、メソッドはバラバラで横の連携も乏しく、情報交換する場がないこと。また映像の撮影や編集には、未経験者の想像をはるかに上回る時間がかかるため、通常の大学教育とのミスマッチが生じていること、また「タイパ重視」の傾向が若者の中に強まる中で、受講生のモチベーションを保つことが非常に難しい現状、またジャーナリズム=ニュースとして作品の公開を前提にすると、プライバシーや肖像権の問題などでトラブルが発生するリスクをゼロにすることはできないこと、従って弁護士が対応できる体制づくりが不可欠にもかかわらず、大学側にその意識が希薄であるなどの課題が提示された。その上で、課題を共有し、場合によっては教員間の連携なども活用し、映像制作教育を安心して行える環境づくりを行うような動きも必要になってきているとの提案がなされた。
 その上で、奥村より2005年に立命館大学で始まり、2014年から武蔵大学で継続して行っている映像ジャーナリズム教育プログラム、「ニュースの卵(https://www.newstamago.com)」について約40分解説が行われた。「ニュースの卵」は学生が「企画・取材・撮影・編集・ナレーション(原稿・読み)・テロップ付け・リード文執筆」の一連の映像ニュースストーリーの制作過程を1人で行う、いわゆる「ビデオジャーナリスト方式」で行われること、ネットで一般に公開することで、企画の社会的な意義を取材相手に説明し、出演を説得するという一連の作業を行う中で「ニュースのサブスタンス」を説明出来る能力を試す機会が与えられる、「自分語りをなくす」などの教育効果が得られるものである。学生は自分で「ネタ」を探して企画書を起こして取材に入るため、必ずしも目論見通りにいかないが、その過程で「モザイクは『誰に何を知られることを防ぐためのものか』を緻密に考えて行くと、ほとんど効果が得られないものであること」や、取材相手にご馳走になるのを回避するテクニックを学生同士で議論するなど、個々の取組じたいが教材の宝庫であることなどが明らかにされた。
 続いて池本・高比良の両氏がNHKで担当している「Dearにっぽん」(日曜朝8:25〜)における、若手のPD(ディレクター)とどのようなやりとりを行い、ストーリーに修正を加えながら魅力的な物語を紡ぎ出し、さらに制作能力を上げる教育効果をあげているのかについて、いくつかの実例をもとに詳細な解説が披露された。特に説明的な演出では、特に若い世代が見てくれないことを意識し、ナレーター全員を女優にして、ナレーションの機会を限りなく減らして、現場でのインタビューや生きた声を拾う演出がいかにして生まれるのか。実際の構成表やナレーション原稿などを示して、非常に具体的な、プロデューサーと現場のディレクターの間でのコミュニケーションの実際がよく理解できるものとなった。
 約30分行われた質疑応答では、映像制作教育に取り組んでいる会員からの取組の報告をライトニングトーク方式で募って「悩みの共有」を図った他、「YouTubeやTikTokなどが若者のスクリーンタイムを支配し、テレビなどでもドキュメンタリーが苦戦している現状で、それでも敢えて教育プログラムにしていく意義は何か?」など、映像教育の目的そのものを見つめ直さなければならないような問題提起などもあった。

ワークショップ12
「障害とメディア」を実践する・実装する

  • 司会:村田麻里子(関西大学)
  • 問題提起者:南谷和範(大学入試センター)、伊東俊祐(國學院大學)
  • 討論者:近藤和都(立命館大学)
  • 企画:理論研究分科会 先端理論研究プロジェクト
  • 参加者:35

「開催記録」

 本ワークショップでは、「障害」をめぐる研究を専門とし、当事者でもある研究者を招き、メディア研究に埋め込まれた「標準」や「正常性」を脱構築する意義と課題について理論・実践の両面から検討した。近年、日本メディア学会でも「障害とメディア」への関心が高まり、障害者差別解消法改正による合理的配慮の義務化を背景に、アクセシビリティをめぐる議論も活発化している。障害の視点は、標準的身体を前提としてきたメディア技術や知の枠組みを問い直す契機となる。
 まず司会の村田麻里子氏(関西大学)が企画趣旨の説明および登壇者の紹介を行い、さらに、登壇者側が状況を把握できるようにフロアの自己紹介の時間を作った。また、ワークショップの前提となる情報保障について説明を行った。本ワークショップでは、視覚障害と聴覚障害の当事者が同じ場で報告・討論を行うことを踏まえ、情報へのアクセスを複数の経路から確保するための技術的・運営上の工夫を行った。まず、スライド投影用のスクリーンとは別に大型ディスプレイを用意し、音声認識によるリアルタイム文字起こしをディスプレイに表示し(「YY文字起こし」アプリを使用)、発言内容を音声だけでなく文字でも確認できる環境を整えた。認識精度を高めるため、登壇者と参加者にはマイクを使用し、明瞭かつ大きめの声で発言するよう依頼した。なお、ワークショップ会場および設備については開催校および企画委員会から綿密なサポートがあった。
 続いて南谷和範氏(大学入試センター)が、「メインストリームと共通基盤:入試の障害者配慮と3D模型による情報アクセスを手掛かりに」と題した報告を行った(なお、南谷は報告に際して、本報告は研究者としての個人の見解であり、所属組織の見解を示すものではないことを強調した)。
 南谷氏は視力ゼロの視覚障害者であり、大学入試共通テストの受験者の中でも、障害のある受験者のための試験問題の開発に従事している。南谷氏は『イソップ寓話』のツルとキツネの話を取り上げ、「動物はそれぞれ食べやすい食器で、受験生はそれぞれ思う存分学力を発揮できる環境で」という理念を示した。
 しかし試験問題の中には、浮世絵や図柄を答えさせる問題や、散布図を読み解かせる問題、ル・コルビュジエの建築における視覚の演出を扱った問題といった、視覚情報を前提に設計されたものがある。こうした問題は点字に起こすことが困難なものも少なくなく、それらは「改変」や「代替問題」といった対応が必要になる。また数学の立体図を用いた問題や、物理学の光学に関する問題は、「見え方の理解を前提とする問題」であり、そもそもそういった問題をどこまで出題すべきかといった根本的な疑問、さらには出題する場合にもその扱い方に関する難しさが浮上する。南谷氏は「どのような『見え方の理解を前提とする問題』は許容されるのか」という問いを立て、「論理的な思考で十分解答できる問題」や「社会の一員として知っておきたいレベルのものごと」であれば、一定は許容されるという基準を示した。ただし「社会の一員として知っておきたいレベルのものごと」は容易に拡大解釈されるため、基本的に「(もっぱら視覚で観測されるものであっても)外部世界の(重要な)客観現象」であれば、一定は許容されると語った。また試験問題の改変や代替における言語化の難しさとして、「同難易度の維持」という基準のあり方が示された。
 その後、南谷氏は「見え方の理解を前提に取り組む問題」を出題から完全に排除することの困難さや不合理を指摘しつつ、こうした問題は仕組み・原理・法則の次元に関わるため、言語化や模型といった他のメディアへの変換だけでは対処しきれない、より高次の課題であるとした。そのうえで、そうした問題に取り組むためのリテラシーを視覚障害者が獲得できるよう、自ら進めている実践について報告した。契機となったのは2019年のノートルダム大聖堂火災である。南谷氏は職場の3Dプリンタで模型を印刷して触れることで、初めてその壮大さと損失の意味を実感したという。この経験から、写真をレリーフ状に立体化する技術の研究と並行して、氏は「物の見え方リテラシー」についてのオンライン・ワークショップを継続的に実施している。たとえば京都の庭園・無鄰菴のベストスポットからの見え方を距離別の模型で再現する教材を開発し、必要な立体模型を事前に郵送してオンラインで解説する形式である。ここでは、遠近感については「遠くだから小さく見える」のではなく「遠くになると見える範囲が拡大し、その中で物が占める面積の比率が小さくなる」という説明がなされた。会場でも富士山の立体模型が回覧され、触って形を知ることのリアリティを体験する機会が作られた。
 次に伊東俊祐氏(國學院大學)が「ろう・難聴とメディア、ミュージアム」と題した報告を行った。伊東氏は先天性の全ろうであり、国立アートリサーチセンター客員研究員として、博物館・美術館のアクセシビリティを向上させる方法を研究・開発している。発表では『ミュージアムの事例から知る!学ぶ!合理的配慮のハンドブック』や「手話で楽しむ美術館コレクション」といった具体的な成果物を示しながら、誰でも鑑賞を楽しめるようにする方法を模索していると話した。
 伊東氏は、「ろう・難聴」を社会モデルから考えることが必要だとして、「ろう・難聴=情報障害」という構図を示した。社会モデルでは、個人の聴力そのものではなく、音声言語を中心に構築された社会環境に問題があると考える。例えば、字幕のない映像、音声のみのアナウンスやコミュニケーション、電話による問い合わせなどは、ろう・難聴者にとって情報へのアクセスを妨げる障壁となる。この問題をメディア論に応用すると、「聞こえることを当然かつ優れた状態とみなして聞こえない人々を差別・蔑視(子供扱い)し、あるいは聞こえない人々をその基準に合わせようとする価値観や社会構造」を指すオーディズム(audism)の存在が問題になる。その上で、アメリカ合衆国でろう者のための大学として設立されたギャローデット大学で初のろう者学長になったアーヴィング・キング・ジョーダンの「ろう者は聞くこと以外なんでもできる」という言葉を引用しながら、現代社会にオーディズムが遍在している現状を批判的に考察した。
 ろう・難聴の問題は、単なる「聞こえの問題」ではなく、「言語」や「文化」、「アイデンティティ」の問題でもある。とりわけ難聴者は、音声言語を基盤として生活しながらも十分には聞き取れないため、聴者社会にもろう者社会にも完全には属しきれないという現状がある。歴史的にみても、ろう・難聴者は聴者によって作られた医療・教育制度や社会、メディア制度の中で、「聞こえるようになること」「話せるようになること」「聴者に近づくこと」を常に求められてきた。批判的障害学やろう者研究では、このような聴者中心の価値観を根本から問い直し、ろう・難聴者自身の言語や文化、経験も踏まえながら社会を捉え直すことが求められている。
 これらの視点を踏まえて、伊東氏はミュージアムの現状の批判的な捉え直しを行った。ミュージアムは展示が中心なので、単純に「視覚優位の場」とみなされる場合が多い。しかし展示という視覚的なメディアの背後には、音声を中心としたコミュニケーションや知識伝達が組み込まれている。その意味で視覚優位の場として語られることの多いミュージアムは、実際には聴覚優位の場でもある。さらに、ミュージアムは「知のメディア」でもある。「障害者に関する資料は、これまで収集の対象とされてきたか」、「障害者の経験や文化は、展示の中でどのように表象されてきたか」、「障害者自身は、知識を生み出す主体として認識されてきたか」を批判的に問い直さなければならない。伊東氏も関わった企画「守れ!文化財―『障害』をめぐるモノとヒトに光を灯す―」は、こうした問題を乗り越える取り組みの一つである。伊東氏は、テレビや映画だけでなく、ミュージアムもまた「聞こえる人」を標準的な利用者と想定するオーディズムを内包しているため、手話通訳や字幕等による情報保障は重要である一方、それだけでは聴者中心の枠組みを問い直すことにはならないとまとめた。
 南谷氏と伊東氏からの発表を踏まえて、近藤和都氏(立命館大学)が問題提起を行った。マーシャル・マクルーハンは、メディアを「身体を拡張する機能」から特徴づけたが、この「身体」は普遍的な身体像を暗黙の前提にしたり、西洋や男性を「標準」とみなしてきたりしたのではないか。こうしたメディア概念を脱中心化するためには、その機能があくまで特定の人々(多くはマジョリティ)にとってのものであり、だからこそ特定の文脈や身体との関係で変化し続けるものとして捉え直す必要があること、言い換えれば、その前提に「標準」や「正常性」の規範が浸透している可能性を批判的に問い直すことが必要であると指摘した。また近年のメディア研究や様々な報告書において、メディアの生産過程では評価基準や昇進基準がマジョリティを標準に設計され「それ以外」の人々が力を得にくいという批判があるほか、アクセシビリティをめぐる労働の不可視化や、文化支援の助成金を通じてアクセシビリティが付加的な位置づけを与えられ、エイブリズムが再生産されているという指摘があると述べた。
 そのうえで、近藤氏は両者に対して、3Dプリンタ技術の以前/以後で、「ものの見え方リテラシー」教育の変化があったのか、それとも新しい技術以前に培われた慣習がその利用法に部分的にでも引き継がれたのか、ミュージアムという制度や政策の中で、アクセシビリティをめぐる課題がどのように位置づけられているのかという質問を投げかけた。これらの質問に対して、南谷氏は、3Dプリンタと写真を立体化するAI技術の登場によって「見え方リテラシー」の教育は初めて現実の可能性となったとし、技術の登場は何を障害者に求めてよいのかというエイブリズムの基準自体を動かす可能性があると述べた。伊東氏は、日本のミュージアムの大半でアクセシビリティの取り組みが進んでおらず、それを労働として位置づける以前の啓発段階にあるとし、この問題をいかに議論の土俵に上げるかが課題であると説明した。
 フロアとの質疑では、ろう・難聴のクリエイターの作品の位置(他のアーティストのそれと切り分けるのか既存の美術史の文脈に位置づけるのか)、ミュージアムを社会に開こうとする動きとオーディズム批判との関係、言語化万能主義をめぐる両氏の言語観、放送における情報保障のあり方、視覚障害受験者の過去問演習へのアクセスといった論点が活発に議論された。また、完全な平等性の追求はエイブリズムに回帰するのではないかという質問に対し、南谷氏は、多数者ゆえに影響力を持つものと本質的価値を持つものとを個別に切り分け、人類の遺産といえる基盤にはアクセスを保障すべきだと応じ、伊東氏は平等性と公平性を区別したうえで、多様な背景や身体性の違いを埋めてスタートラインを整える公平性がアクセシビリティの基礎になるとしつつ、その基準がマジョリティの視点に偏りがちな点を再考する必要性を指摘した。
 参加者が登壇者と長時間に亘り活発な意見交換を行う、刺激的な研究会となった。

ワークショップ13
放送の「質的公正」——「報道特集:
「争点に急浮上 “外国人政策”に不安の声」」を素材にして

  • 司会者・討論者:鈴木秀美(国士舘大学)
  • 問題提起者:大石裕(十文字学園女子大学)
  • 企画:大石裕(十文字学園女子大学)
  • 参加者:35名

「開催記録」

 2025 年7⽉3⽇、参議院選挙が公⽰され、7⽉20⽇に投票が⾏われた。選挙期間中の7⽉12⽇、TBS「報道特集」は「争点に急浮上 “外国⼈政策”に不安の声」という特集番組を放送した。翌13⽇、この番組で批判的に取り上げられた参政党は、TBS に対する抗議⽂を公表した。他⽅TBSは、外国⼈政策に対する社会的関⼼の⾼まりが差別と排除に結びつく危険性を積極的に報じることの意義を主張した
 本ワークショップでは、この問題の検討を行うための準備作業として、放送法第4条における放送の公平性の問題に関して、特にBPOの見解に言及しながら「質的公平」の解釈の困難さについて述べ、代って「質的公正」という用語を提案した。また、公共性に関して「上からの公共性」と「下からの公共性」という考え方に基づき、公共圏がこれらの公共性が競合しうる空間であることについて論じた。
 次いで放送ジャーナリズムの公共性に関して、①「上からの公共性」―放送ジャーナリズムの消極的自由、②「下からの公共性」―社会問題の発見や提起、新たな秩序形成を目指す運動、③公共圏として放送ジャーナリズム—多様な利害や見解が対立、妥協、合意、といった観点から考察した。関連して、放送の「質的公正」に関する評価の指標、達成すべき課題として、①社会に対する積極的な問題提起、②社会で潜在化していた問題の発掘と提示、③公共圏としてのフォーラムの提供をあげた。
 当番組をめぐっては、公平な選挙報道を行うべきという参政党の主張と、社会的な問題提起(TBS)という二つの公共性が競合していた。参政党の偏向報道批判は「上からの公共性」からの主張と見なしうるが、他方当番組は「差別と排除」の問題の明示という 「下からの公共性」、すなわち「民主主義の民主化」の実践と評価できる。従って、「報道特集」のこの番組は、放送の「質的公正」を実践し、放送ジャーナリズムの使命を果たす内容と評価できることから妥当な内容であったという結論を述べた。
 この問題提起に関して、討論者から、メディア法の観点から主に放送法第4条第1項第2号(政治的公平性)の問題点が指摘された。というのも、この条文の文言は不明確であり、そして倫理規範ではなく、法規範と解釈した場合には憲法21条違反になり、さらに監督機関が独立行政委員会ではなく総務省という問題も存在するからである。
 その後、フロアの参加者から、この番組自体かなり一方的な内容ではなかったか、参政党が主張する「日本人ファースト」は必ずしも排外主義に直結していないのではないか、「上からの公共性」という考え方を導入することの意味、放送ジャーナリズム論を再構築するにあたっての新たなパラダイムの必要性などについて質問、意見が示され、有益な討議が行われた。

ワークショップ14
ジャーナリズムにおける専門性の再考——文学研究との架橋

  • 司会者:木下浩一(立教大学)
  • 問題提起者:加藤邦彦(駒澤大学)
  • 討論者:畑仲哲雄(龍谷大学)
  • 企画:歴史研究分科会 ジャーナリズム史プロジェクト
  • 参加者:14

「開催記録」

 本ワークショップでは、ジャーナリズムの実践と研究のヒントを、文学研究に求めた。文学研究は個人を対象とすることが多く、社会学やメディア研究は、集団を扱うことが多い。対象の水準が異なるとはいえ、メディア研究やジャーナリズム研究が文学研究を参照する意義は小さくない。
 問題提起者である加藤邦彦は昨年、『詩壇ジャーナリズムと詩人たち:戦後詩の成立、現代詩の展開』(花鳥社)を上梓した。加藤は同書で「詩壇ジャーナリズム」を問題としている。加藤によれば、この言葉は小田久郎の文章にみられるものである。小田は自ら思潮社を設立し、雑誌『現代詩手帖』などの編集に携わった。小田は旧来の詩壇ジャーナリズムを批判した。詩壇ジャーナリズムとは、詩を扱う商業雑誌を中心とした業界や集団といった意味である。
 旧来の詩壇ジャーナリズムに対する小田の批判点は、新聞をはじめとしたジャーナリズムに対して示唆に富む。第一に、狭隘な仲間意識といったような一種のタコツボ化である。編集者が、仲のよい詩人を重用することで執筆者が固定化し、詩を扱う雑誌が「同人誌」化した。第二に、編集と作詩の未分化である。詩壇ジャーナリズムでは往々にして、詩の書き手が編集者を務めた。それによって編集者が高い威信を有し、権力の源泉となっていた。第三に、良い詩と悪い詩の境界が曖昧であった(ジャーナリズムにおけるニュース価値といえる)。第四に、初心者や専門外の読者に対する配慮を欠き、また新人への道が閉ざされがちであった。小田は、これらを旧来の詩壇ジャーナリズムの欠点とし、それへの批判として自ら『現代詩手帖』という雑誌を立ち上げたのである。小田は、詩壇ジャーナリズムの改善が進まないのは、低い商業性に原因があると考えていた。この点は、新聞やテレビにおけるジャーナリズムに対する批判と一見、相反するように思える。
 討論者である畑仲哲雄は、詩壇ジャーナリズムを表現者と市民を結ぶ媒介者と捉え、観察・批判・評価する機能と役割を指摘した。その上で、ジャーナリズムを含めた職業における専門性(Profession)研究の系譜を整理し、専門職あるいは組織ジャーナリストの要件を指摘した。また、畑仲は詩人やジャーナリストの共通点として、知識人であることを挙げた。詩においても報道においても、同時代を記録し、批評する実践である点は共通であるとの指摘である。
 これらの論点や争点は、フロアとの質疑応答を含め、活発に議論された。参加者には新聞社などにおける実務の経験者も多く、研究だけでなく、ジャーナリズムの実践を含めた議論が交わされた。これらの議論のなかから見えてきたのは、ジャーナリズムの改善は、単独の界だけでなすことは困難であり、ジャーナリズム相互の批判や協働が必要であるということだ。また、商業性は必ずしもジャーナリズムに害悪をもたらすものではないが、かといって適度である必要がありそうだ。同時代を記録し批評する実践の意義を、双方の領域から深く再考する場となった。

ワークショップ15
グローバルOTTの文化翻訳:歴史表象の再文脈化に着目して

  • 司会者:尹汐(名古屋大学)
  • 問題提起者:玄武岩(北海道大学)
  • 討論者:長山智香子(名古屋大学)
  • 企画:長山智香子(名古屋大学)
  • 参加者:14名

「開催記録」

 本ワークショップは、グローバルOTT動画配信市場の急速な発展が、既存のメディア産業にも再編をもたらし、その一方で番組制作の新たな可能性が生まれているという認識に立ち、グローバルOTT時代における歴史表象のグローバル化と再文脈化について検討した。
 玄武岩会員は、『イカゲーム』や『SHOGUN 将軍』に代表されるグローバルOTT作品の台頭を踏まえ、世界市場を前提とするOTT作品が、国民国家の枠組みを超えてローカルな歴史や文化をグローバルな物語へと再構成することを論じた。Apple TV+のドラマ『PACHINKO パチンコ』が在日コリアンの歴史を普遍的な移民の物語として提示する一方、日本・韓国・在日コリアンそれぞれに異なる受容を生み出した背景を分析し、その要因として歴史認識やアイデンティティ、「情緒的リアリズム」の差異を指摘した。さらに、この作品は加害/被害という二項対立を相対化し、「記憶と和解」や「親密性」の可能性を提示していることを論じた。最後に、『パチンコ』だけでなく『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』などコリアン・アメリカンの制作者が主導するコンテンツが映像文化の生産・流通・受容を再編していることを踏まえて、グローバルOTTにおけるディアスポラの役割を示した。
 玄会員はOTT作品の再文脈化を、アジアン俳優の起用、プラットフォームの多言語機能、済州島の方言の使用など作品内容や制作システムに即して論じた。それに対して長山智香子会員は、個々の俳優がドラマをローカライズする積極的な役割の一つとして、再文脈化を位置付けた。まず俳優のイ・ミンホが、グローバルスターとしてドラマ『パチンコ』と各地域の視聴者を媒介する役割を果たしていることを、「再埋め込み」と「happy object」(S. アーメッド)の概念に基づいて論じた。次に南果歩とパク・ソヒ(ソウジ・アライ)のインタビューから、彼らがドラマを家族史と自身の経験を通じて在日コリアンの歴史やアジアン・アメリカンの運動に再文脈化していることを示した。そして関東大震災時の朝鮮人虐殺を描いたシーズン1第7話をホラー映画の技法と比較し、イ・ミンホを主人公にして恐怖や不安などのアフェクトを喚起する映像表現に着目した。レイシズムの暴力をスペクタクル化して消費させることに抵抗し、現代社会に温存される差別のメカニズムへの問いを投げかけていると論じた。
 参加者との質疑応答では、韓国や日本でドラマ『パチンコ』の人気を図る指標は何か、小説『パチンコ』で情緒的リアリズム(またはその欠如)がどう構築されるか、歴史表象をめぐる国家対立と裏腹に女性の社会的上昇という物語が広く人気を獲得しうること、植民地主義や戦時の暴力に関する表現がOTTを通じて教科書的に無菌化(sanitize)される懸念、誰の視点によって暴力が語られうるのかという着眼点から議論がなされた。

ワークショップ16
テキストマイニングと新聞記事の間にある諸課題——
メディア研究者と新聞社の適切な関係の構築に向けて

  • 司会者・討論者:塩谷昌之(東京大学)
  • 問題提起者:河野静香(上智大学)
  • 企画:塩谷昌之(東京大学)
  • 参加者:30

「開催記録」

 本ワークショップは、テキストマイニングと新聞記事の間にある諸課題について、メディア研究者やメディア関係者が対話する場を設けようと試みたものである。
 はじめに、司会の塩谷会員より、本ワークショップの開催に至る背景の説明が行われた。情報解析におけるテキスト型データの処理方法や、新聞を対象にした内容分析およびテキストマイニングの先行研究の紹介、著作権法の改正による新聞記事の著作物性の取り扱いの変化について、近年の裁判例を交えて解説された。そのなかで、著作権法には権利保護と権利制限の両面があること、テキストマイニングの情報解析においては現行の著作権法の第30条の4と第47条の5が重要になることが強調された。
 続いて、問題提起者の河野会員より、若手研究者が新聞記事を対象にした研究を構想する上での困難が提示された。1980年代より前のテキスト型データが提供されていない点、新聞記事データ集を通時的に購入する費用が若手研究者には捻出できない点、テキスト型データの作成に時間上の制約が生じる点、当時の新聞記事データベースの利用規約に応じて研究遂行上の懸念が生じた点などが、経験を通じて具体的に語られた。そして、諸外国における新聞記事データベースの運用状況にも触れながら、これらの困難の背景には環境、技術、制度のそれぞれの領域が重なり合っていることが説明された。