2023年 春季大会ワークショップ開催記録

 2023年春季大会で開催されましたワークショップの開催記録を掲載いたします(2023年9月3日)。

ワークショップ1
Lisa Gitelmanのメディア研究をめぐって

  • 司会者:近藤和都(大妻女子大学)
  • 問題提起者:新倉貴仁(成城大学)
  • 討論者:梅田拓也(同志社女子大学)
  • 〔企画: 新倉貴仁〕
  • 参加者:対面19名+Zoom
  • 執筆担当者:新倉貴仁

「概要」

 本ワークショップでは、近年のメディア理論の新しい展開の一角を占めるリサ・ギテルマンのメディア理論の可能性を検討した。

 問題提起者である新倉による報告では、ギテルマンの三つの単著、Scripts, Grooves and Writing Machines (1999)、Always Already New (2008)、Paper Knowledge (2014)の概要が示され、それらに共通する性格として、19世紀後半のアメリカ社会と現代社会のそれぞれのニューメディアを比較するという構図が示された。特に最初の単著であるScripts, Grooves and Writing Machines (1999)では、エジソンのフォノグラフを中心として、速記術、エジソンのもとに届いたアイデア・レターの数々、特許申請をめぐる文書、レコードのレーベル、タイプライターと自動筆記など、具体的な対象が扱われ「書き込み」の歴史が探求されている。

 くわえて重要な論点として、ヘンリー・ジェンキンズが『コンバージェンス・カルチャー』のなかで引用しているギテルマンの「プロトコル」という概念が注目された。プロトコルの概念は技術的側面と文化的側面を含むと同時に、大量生産や標準化といった主題と親和的な概念である。またPaper Knowledgeのなかでしめされた「ドキュメントの歴史」という問題について、最初の単著における「レコード」の歴史との連なりのなかで理解すべきであることが論じられた。「ドキュメント」と「レコード」という語には、記録する行為と、モノあるいは物質としての、二つの側面がある。

 討論者である梅田拓也氏からは、ギテルマンの議論をめぐる論点の明瞭な整理が提供された。梅田氏は、ギテルマンの議論の理論的意義として、①技術決定論vs社会反映論の調停、②書き込み(inscription)の探求をとりあげる。ギテルマンは、フリードリッヒ・キットラーの議論の影響を付けつつも、特定の時代における特定のメディアを論じることを推奨する。それは技術決定論と社会反映論のあいだを行く道筋である。次に、ギテルマンの議論の実践的意義について、③成功した実践/失敗した実践の対称性、④生産者/消費者の対称性の二つの点から論じた。さらに問題提起者が提示した三つの論点(キットラーへの位置、標準化の主題、メディアの可能性)に応答しつつ、ギテルマンのメディア論が、あらたな経験的研究を可能にするものであることを指摘した。

 フロア、Zoomでの参加者を交えての議論のなかでは、メディア考古学との関連性や、これまでのマスコミュニケーション研究との接合の問題など、重要な論点が提示された。また司会者の近藤和都氏からはギテルマンの他の二つの編著本との関連性も示された。  以上、本ワークショップは近年の新しいメディア研究の潮流から「メディア」を論じるための視座をつくりあげていく試みの一つとなった。同時に、1980年代から1990年代における新しいメディア研究の到来と、現在とのメディア研究とのあいだの懸隔も明らかになり、それを埋める学説史的研究の重要性がより明らかにもなった。

ワークショップ2
日本におけるディスアビリティ・メディア・スタディーズの模索

  • 司会者:長山智香子(名古屋大学)
  • 問題提起者:丸山友美(静岡大学)
  • 討論者:洞ヶ瀬真人(福山大学)
  • 参加者数:10人(登壇者含む)
  • 執筆担当者:丸山友美

「概要」

 本ワークショップでは,メディアに描かれる障害者イメージの問題を,障害者を映像に映す意義やその可能性を包摂する理論的視座のあり方まで含めて議論することで,英語圏で展開するディスアビリティ・メディア・スタディーズが日本でいかに展開可能か模索するため,丸山友美会員の問題提起をきっかけに,洞ヶ瀬真人会員の討論を受けて,フロア全体で議論する時間をもった。

 はじめに,丸山会員はアーカイブを用いてテレビの描いた障害者表象の変遷を検証することで,五つの文脈によって障害者イメージが形成されてきたことを報告した。一つは「障害者の居場所作り(真相は障害者の“隔離”)」であり,二つは「不可視の存在から,社会の隣人へ」であり,三つは「機能不全を努力によって補う存在から,ありのままの“私”へ」であり,四つは「多様な障害の理解・把握」であり,五つは「障害者に対する加害の歴史」である。これら五つの文脈の提示に加えて,四つ目の文脈が前面化し始める1980年代半ば以降,ディレクター欄に女性の名前が増え始めるという指摘もおこなわれた。無論,作成中の番組リスト316本にはどの文脈にも括れない描き方をしている番組もあるし,視聴した番組に限りがあるため放送されたすべてを網羅しているわけでもない。番組の視聴調査と制作者へのインタビュー調査を継続しつつ,テレビ番組分析という方法を障害学に向けて提案することは,日本におけるディスアビリティ・メディア・スタディーズの試みになりうるのではないかという問題提起が行われた。

 次に洞ヶ瀬会員は,出生時から水銀中毒を受ける胎児性障害者の姿が水俣病の映画や写真などによって捉えられてきたことに注目し,映像メディアの公害記録が早期から障害問題に向き合ってきたことを報告した。報告では,1960年から始まる桑原史成の水俣写真や土本典昭の映画『水俣の子は生きている』(1965年)に加え,洞ヶ瀬会員がNHKアーカイブス学術利用トライアルで調査したテレビ番組『話題を追って・水俣病』(1964年)の胎児性児童表象の分析を通し,これら映像記録がいずれも事の始まりから,公害被害や障害問題を社会に訴える象徴として被写体を捉えていたのではなく,彼女ら彼らが自分自身として生きる姿とその価値を写し撮っていたことが浮き彫りになった。この点で,水俣病などの公害問題の障害者表象は過去の記録として捨て置くべきものではなく,「障害」を社会の問題へと開いたこれまでの障害学の先を志向するディスアビリティ・メディア・スタディーズの観点に照らし合わせても,改めて見直すべき研究対象となるだろう。

 以上の報告を受け,司会の長山智香子会員が「女性テレビ制作者自身が性差別は組織的・構造的なものと理解していたことにより,障害はたまたま運の悪い人が被るものという個人的悲劇論の表象から距離を置けた可能性はあるか。一方で女性テレビ制作者のゲットー化の問題も考える必要がある」と口火を切り,全体討論を始めた。フロアの参加者からは「テレビ番組の場合,放送日と取り上げるテーマとの間に関連性はあるか」や「障害者やその家族を撮るドキュメンタリーの暴力性をどう考えるか」といった質問が出た。本ワークショップがテーマに掲げた「日本におけるディスアビリティ・メディア・スタディーズの模索」は始まったばかりであり,番組/作品分析に精緻に取り組むと共に,理論枠組みの補強やその再検討も必要である。いただいた助言やコメントに応えていくことが,報告者らの今後の研究を充実したものにするはずである。報告者の一人として記して感謝する。ありがとうございました。

ワークショップ3
映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』から考える
報道の課題と役割

  • 司会者:林怡蕿(立教大学)
  • 問題提起者:大門小百合(元ジャパン・タイムズ編集局長)
  • 討論者:山本恵子(NHK解説委員)
  • 企画:ジャーナリズム研究・教育部会
  • 参加者数:49名(オンライン参加者32名含む)
  • 執筆担当者:松原妙華(東京大学大学院)

「概要」

 当ワークショップでは、映画『SHE SAID』を手がかりに、日本の報道現場の現状、課題、解決のための具体的な取り組み事例が共有され、改善に向けた意見交換が行われた。本作は、#Me Too運動の発火点となったニューヨーク・タイムズ(NYT)の調査報道が主題となっている。

 はじめに、問題提起者の大門会員から、自身の記者および編集者経験と、本作の主人公のひとりであるミーガン記者本人へのインタビューの話を交えながら、(1)本作から読み取れる性暴力被害の取材の難しさと(2)NYTの報道の成功の鍵について説明があり、(3)日本の女性記者が受けるセクハラ被害の実態についても情報共有された。

 (1)は、①加害者が業界権力者で被害者が声を上げられないこと、②加害者によるメディアへの圧力、③被害の裏付け証拠を入手することや、司法判断前に報道することの困難さについて指摘があった。(2)は、①報道する側のダイバーシティ(被害への気づきと共感)、②編集者の判断・取材サポート(記者への共感、伴走)、③ジャーナリストとしてのコミットメント、④取材のための時間とお金、⑤家族や職場のサポート、⑥取材ノウハウの共有が、挙げられた。大門会員は、点と点をつなぐ調査報道においては、権力に対しタフで対立的になれる能力と優れた聞き手として被害者と信頼関係を築く能力が両輪として重要であると強調した。

 討論者の山本氏からは、「#MeTooから#WeTooへ〜つながり変えていく女性ジャーナリスト勉強会〜」と題し、記者が社を超えて横でつながり問題提起する取り組みについて具体的事例が共有された。

 山本氏は、NYTはチーム一丸の取材・報道が可能だった一方、NBCのローナン・ファロー記者がニューヨーカー誌から報道せざるをえなかった経緯に言及し、ニュースを出すか出さないかの判断を行う編集責任者(編責)の役割の重要性を強調した。一方で、日本の男性が多数を占める報道現場では、出産や少子化、待機児童の問題を提案しても、デスクの壁を越えることが困難だった自身の経験をふまえ、意思決定層に女性が増えることの意義に目を向けた。

 続けて、女性ジャーナリストの勉強会「薔薇棘」の活動や「才能、世代、世界をつなぐ」という当会ビジョンについて紹介があった。報道する側の女性記者たちが共通の課題について学び話し合える場が必要と考えたことが発足につながった。2001年発足時15人だったメンバーは現在女性ジャーナリストを中心に1000人を超え、「いい人、いい情報を共有し、いい発信につなげよう」という趣旨に賛同する女性が集まる。ソーシャルグッドや課題解決につながるテーマは、特ダネとして独占するのではなく、勉強会やMLを通じて情報共有し、それぞれの立場から取材し発信につなげている。メディアだけでなく企業や行政、NPOなどともに問題提起をすることで、法改正につながった実例などが共有された。

 その後、参加者と意見交換を行った。編責のゲートキーパーとしての役割が記者にとって協力的なものになるにはどうしたらよいか。メディアに懐疑的な人が増える中で視聴者や読者と連帯するには何が必要か。加害を追及するための調査報道だけでなく被害の声をつなぐ問題提起、セクハラ問題をゴシップとして消費されないための問題設定、無意識のバイアスやステレオタイプを強化しないためにデータやファクトを提示する方法、ジェンダー問題に関心のない人びとへ声を届けるための戦略、提案が却下されても証拠を蓄えながら長期的に共感者を増やし発信につなげる方法など、多角的な観点から話し合いが行われた。

ワークショップ4
「社史」の課題と可能性:新聞社史の変容をてがかりに

  • 司会者:木下浩一(帝京大学)
  • 問題提起者:松尾理也(大阪芸術大学短期大学部)
  • 討論者:磯山友幸(千葉商科大学)
  • 参加者数:29名(対面21名、オンライン8名)
  • 執筆担当者:松尾理也

「概要」 

 本ワークショップは、メディア史の重要な史料であり続けてきた新聞社史ないしはメディア企業史の意義と位置づけを再検討するとともに、既存メディアの経営的苦境の傾向の下、社史編纂、刊行の歴史と現状を整理し、その意義と課題を考えてみようとするものである。

 まず問題提起者から、かつて自身が在籍した産経新聞社の創業者前田久吉の評伝を同紙の依頼で外部執筆者として連載した経緯をもとに、従来一般的であった社内部署による大部な社史編纂作業はコスト的に厳しくなっているだけでなく、その背景にある「新聞発展史観」そのものが、現在の既存メディアへ向けられる批判的な視線に対して不適合になりつつあるのではないかとの問題提起がなされた。問題提起者は、一般企業の社史について、1960年代ごろから欧米の影響を受けるかたちで経営史研究者が声を挙げ、「学問的批判に耐えうる社史」の追求が行われた結果社史そのものの変革も進んだことを指摘し、新聞社史ないしはメディア企業史についても、アカデミズムとの連携で柔軟で多様な歴史観へのアップデートが可能ではないかと述べた。

 討論者は、経済関連の取材において各企業の社史は基本的文献として日常的に利用されているにもかかわらず、当の新聞社史はほとんど読まれていないとした上で、楽観的な経営評価がめだち、不都合な事実が記載されていないなどの問題点はあるものの、歴史資料としての価値は少なくないと指摘。新聞発行部数、広告収入の急激な低下を示し、編纂・発行するだけの体力がなくなっていく中で、今後歴史書としての「社史」の重要性は増していくとした。

 フロアからは、社史とともに重要なメディア史の資料である縮刷版について、容疑者の固有名詞の削除などが広がっており、あり方について疑問を呈する声などがあがった。さらに、毎日新聞社が保管している第二次世界大戦時の自社報道写真について、同社と東京大学、京都大学が共同研究としてデジタルアーカイブ化をめざしているプロジェクトが紹介され、メディアとアカデミズムとの連携の具体例が示されるなど、活発かつ有意義な議論が行われた。

ワークショップ5
少年事件報道の「悩み」をどう克服するか

  • 司会者:山田健太(専修大学・教授、会員)
  • 問題提起者:霍見真一郎(神戸新聞・編集委員)
  • 討論者:武井功(山梨放送・報道制作局長)、笹田佳宏(日本大学・教授、会員)
  • 参加者数:55人
  • 執筆担当者:山田健太

「概要」

 2022年4月に改正少年法が施行されてから1年が経過した段階でのWSであった。改正によって18・19歳少年は「特定少年」として、従来の推知報道の対象から外れることになった。表現の自由の原則からは、実名報道を含め「事実」を伝えることは言論報道機関の最も大切な倫理といえ、むしろこれまでの例外的取り扱いから解放され、憲法原則通りの報道が可能になったということができよう。

 ただし、当該「少年」は、国民投票法の改正からはじまり、公職選挙法の投票年齢引き下げ、そして民法上の成人年齢の変更と進んできた中で、少年法ではあくまでも対象年齢として法の適用を受けるほか、酒や煙草等の飲酒・喫煙も禁止されるなど、大人か子どもか、社会の中で宙ぶらりんな存在ともいえる。実際、各自治体の「成人式」も20歳か18歳で割れている状況だ。

 そうしたなかで、少年事件の報道に際し、法適用通り「実名・顔写真」で報道することは簡単な解決策であるとともに、それでよいのかについてはジャーナリズム倫理の上で議論があるところだ。本ワークショップでは、霍見氏より、神戸新聞紙上での長期連載「成人未満」での取材の苦労や報道を受けての読者や当事者からの反応について紹介があり、実名・匿名の双方の立場から厳しい意見があったことからも、報道の難しさが問題提起された。

 続いて当初予定の酒井康宜・報道部長の代わりに登壇した武井氏からは、事実上の第1号事例である甲府事件を中心に、テレビでの対応についての現状報告があった。これらを受け笹田氏より検察の起訴時の記者発表も特定少年事件において「匿名」が多い実態とともに、1年間の各メディアの報道状況を踏まえつつ、少年事件の報道のあり方の揺れについて報告があった。

 さらに少年事件の報じ方については、ネット上では晒しと称されるように加害少年の実名・顔写真ほか個人情報が開示されることが多い。また週刊誌を中心に、凶悪事件であることを理由として少年の人権よりも公共性・公益性が優先されるとして実名・顔写真報道がなされてきた。一方で新聞・放送においても、実名範囲が拡大しつつあり、4月の法施行以降、実名転換派と匿名継続派に分かれることことになった。結果として、4月の甲府事件では実名が圧倒的に多かったものの、その後の事件ではむしろ匿名もしくは報道しない報道機関が多いとされている。またそれらが、検察の実名・匿名発表に大きな影響を受けているとの実態も見え隠れする。

 また同時に、2022年10月以降、少年事件記録の保存の問題がクローズアップされているなか、神戸児童連続殺傷事件の記録廃棄の事実をスクープし、全国区の問題となり最高裁が謝罪するに至ったきっかけをつくった霍見氏から、その経緯も含め詳細な報告があった。一般的な司法記録とともに、将来にわたっても非公開が続くであろう少年事件記録を残す意味は何なのかは、被害者・加害者のありようを考える上で、報道の在り方と通底する問題でもある。

 少年法の趣旨、推知報道禁止の61条の意義、今回の改正をどうとらえるか、加害者・被害者それぞれの立場をどう反映することができるのか、社会の流れとして被害者感情を尊重する状況の中で、そもそも少年事件報道は何を報ずべきなのか、現場の「悩み」を共有しつつ、単なる制度論ではないジャーナリズムのありようについて、活発な討議が交わされた。

ワークショップ6
テレビCMアーカイブの現状と展望~著作権制度を中心に~

  • 司会者:石田佐恵子(大阪公立大学)
  • 問題提起者1:山田奨治(国際日本文化研究センター)
  • 問題提起者2:高野光平(茨城大学)
  • 討論者:生貝直人(一橋大学)
  • 参加者数:33名(対面23名、オンライン10名)
  • 執筆担当者:高野光平

「概要」 

 本ワークショップでは、放送史研究にとって必要不可欠な放送アーカイブの問題について、テレビCMをケーススタディとして、著作権問題を軸にした議論をおこなった。

 日本におけるテレビCMのアーカイブには、アドミュージアム東京の「デジハブ」、立命館大学アート・リサーチセンターの「20世紀のテレビCMデータベース」、各広告主が自社のWebサイト等で公開している作品集などがある。こうした公式アーカイブの一方で、研究者自身が録画した映像や、一般のレトロ映像コレクターが収集した映像などの個人コレクションも豊富に存在しているが、それを研究目的で公に周知したり、利用者をつのったり、他の研究者と表立って共有したりすると、著作権法で認められた利用範囲を逸脱することになりかねない。近年は個人録画と思われるテレビコンテンツが動画配信サイトに多数アップロードされているが、それらを論文や著作に引用することにも問題がある。この状況をどう考えるかについて、二名の問題提起者が報告をおこなった。

 一人目の報告者である山田奨治氏は、まず、文化庁文化審議会著作権分科会法制度小委員会において、研究目的に係る権利制限規定の検討がおこなわれていたものの、明確な結論にいたらなかった経緯を紹介した。山田氏は、ここでいう研究目的が成果発表の場面に矮小化されており、資料の収集・共有段階で起こる問題ついて考慮されていない点に疑問があるとした。研究資料収集のための私的複製と公的複製は線引きが難しいので、一括して権利制限(研究のための複製の自由)を設けるべきと結論づけた。

 二人目の報告者である高野光平会員は、テレビCMの公式保存と非公式保存(一般視聴者による録画物の保存)について現状の説明をおこなった。そのうえで、公式保存は研究教育目的に利用が制限されていて一般の利用が難しい点、および、非公式保存を研究資料としてオーソライズすることに法的な懸念がある点が課題だとし、放送を終えたテレビCMは番組のように二次的な利益を生み出すことがないのだから、公共財としての枠組みで扱うべきであると結論づけた。

 問題提起を受けた討論者の生貝直人氏は、個人アーカイブの利用可能性を高めるいくつかの方法を示した。第1に、現在おこなわれている研究目的利用は著作物の「寛容的利用」の範囲で成り立っているので、二次創作のように権利者側がそのことを明言する方法。第2に、ドイツやフランスのように権利制限規定を法律で明文化する方法。第3に、国立国会図書館やメディア芸術ナショナルセンター(構想中)などの国立アーカイブに組み込んで、大きな枠組みの中で問題を解決する方法である。

 会場を交えた質疑応答では、デジタルアーカイブ学会において肖像権ガイドラインを策定したプロセスや、国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービスの事例なども参照しながら、テレビCMを用いた自由な研究活動を確保するための現実的な施策について意見交換がおこなわれた。

ワークショップ7
政治のメディア化:その理論的射程を問う

  • 司会者: 工藤文(早稲田大学)
  • 問題提起者: 津田正太郎(慶應義塾大学)
  • 討論者: 山腰修三(慶應義塾大学)
  • 討論者: 西田亮介(東京工業大学)
  • [企画 理論研究部会]
  • 参加者数:51名
  • 執筆担当者:津田正太郎

「概要」

本ワークショップではまず、メディア化理論をリードしてきたスティ・ヤーヴァードの著作をおもに参照しながら、政治のメディア化について津田が問題提起を行った。

メディア化理論の中心的なアイデアはシンプルであり、社会や文化のさまざまな領域でメディアへの依存度が増大し、メディアの影響力が大きくなることを指す。言い換えれば、産業化や都市化、グローバル化、個人化といった現代社会の大まかな変動過程の一つとしてメディアの影響力の高まりを捉えようとする発想ということになる。

政治のメディア化については、ヤスパー・ストレムベックによる四段階のモデルが知られている。まず、メディアが政治に関するもっとも重要な情報源になるというプロセスが継続的に進行していく。それと並行してメディアが他の制度からの独立性を高めていく段階を経て、メディアのコンテンツが「メディアの論理」に従って制作されるようになる段階へと至る。そして、政治的行為者、組織、制度がメディアの論理に従うようになるというのが最後の段階である。

 政治のメディア化によってどのような変化が生じるのかについては、政治のパーソナル化、政治コミュニケーションの会話化、メディア提携型政治解説者の出現といった現象が論じられている。また、政治のメディア化が進むことで、「政治家のメディア戦略」がメディア上で注目されるようになるとの見解も示されている。

 以上のようなメディア化に関する議論について、問題提起者は「メディアの論理はどこまで固定的なのか」、「メディア制度の独立性は高まっているのか」「メディアの独立性の高まりが政治のメディア化の前提条件だとすれば、権威主義国家体制のもとでは生じないのか」等の論点を提起した。

 これらの問題提起に対して、討論者の山腰修三会員からは、ヤーヴァードの制度論的なアプローチよりも、アンドレアス・ヘップらによるメディア化への現象学的なアプローチのほうが有望ではないかとの指摘がなされた。AIのような新技術の発展を視野に入れたヘップの「深層のメディア化」概念の有用性に加えて、新たなニュース文化が制度化されていく過程を分析するのにはヘップのアプローチのほうがより適合的ではないか、ということである。

 もう一人の討論者である西田亮介氏からは、日本における政治コミュニケーションの現状に関する解説ののち、「メディア化」概念の新規性に対する疑念が提起された。今回の問題提起における議論には目新しさが欠落しており、新たにメディア化という概念を導入することの意味が不明確だということである。

 さらにフロアからは、先行研究と比較した場合、メディア化の議論には文化やヘゲモニーの役割に対する議論が欠落していることから「理論的後退」だとの批判があった。また、メディア化は非規範的概念だとされているが、今回の問題提起にはある種の価値判断が混入しているとの指摘もあった。

 総じて、今回の問題提起に対して討論者およびフロアからは厳しい声が多く上がった。とはいえ、メディアが遍在化する社会状況のなかで、メディア化概念はメディア・コミュニケーション研究者が内に籠るのではなく、外部に打って出ていくための可能性の一つである。他の方向性も含め、メディアの理論研究の新たな方向性を探る試みが今後も継続されることを期待したい。

 ワークショップ8
デジタル・メディア社会とユーザーのためのデザイン

  • 司会者:土橋臣吾(法政大学)
  • 問題提起者:加島卓(筑波大学)
  • 問題提起者:柴田邦臣(津田塾大学)
  • 討論者:松田美佐(中央大学)
  • 討論者:水越伸(関西大学)
  • 参加者数:78名
  • 記録担当者:土橋臣吾

「概要」

 本ワークショップは、デジタル・メディア社会におけるユーザーに焦点を当てつつ、加速度的なイノベーションに翻弄されないデザイン、リテラシーのあり方について議論することを目的に開催された。冒頭司会より、本ワークショップで扱う「デザイン」が、具体的な装置やUIのデザインに限定されるものではないことが確認されたが、これは本ワークショップの関心が、ユーザーのあり方を一定の仕方で規定する社会的な営為としてのデザインに向けられていたからである。

 こうしたワークショップの狙いを受けて、まず問題提起者の加島卓は、「計画的陳腐化(製品に人為的な寿命を設け、買い換えを促すこと)」の歴史と現状を検討しつつ、そこから導かれるメディア研究の課題を提示した。

 報告で示されたように、デジタル・メディアの「計画的陳腐化」には、公称よりも短い時間で切れてしまうモバイル機器のバッテリー、アップデートによってかえって動作が鈍くなるOSなど様々な事例がある。重要なのは、これらの「計画的陳腐化」が、かつての消費社会論の主要な関心であった「欲望の廃物化」にではなく、より直接的な「品質の廃物化」に向けられている点である。端的にいえばそれは、「ユーザーが自分のペースでデジタル・メディアを使うことができない問題」を広範に引き起こすのである。だとすれば、今後のメディア研究は、「加速度的なイノベーションに翻弄されないユーザーのあり方」を示しながら、「計画的陳腐化/商品のライフサイクル」に「ユーザーも関わっていく社会」を構想するという重要な課題を手にすることになるが、報告ではそのために参照すべき先行研究や社会実践が数多く検討された。

 これを受けて二人目の問題提起者の柴田邦臣は、「ユーザーの思考⼒=『リテラシー』を⾼めるようなデザイン」の可能性/不可能性に関して問題提起を行った。

 報告では、情報メディアが「主体的」であるための条件として、「1. その仕組みが『開⽰されて』いること」「2. その構造の『論理的把握』が可能であること」「3. 試⾏錯誤という『予想外の利⽤』が可能であること」の三つが挙げられたが、検討の中心となった生成系AIを念頭に置くなら、これらの条件を満たすデザインの実現についてはまったく楽観できないことが分かる。さらにいうなら、COVID-19 Crisisを契機に「学びの危機」が深刻化しつつある現在、「それっぽさ」をアウトプットし続ける生成系AIは、論理的な「思考」を支援するテクノロジーというより、むしろ思考の形骸化を深化する「祈りのテクノロジー」と化す危険さえある。生成系AI、COVID-19 Crisisというきわめて今日的なトピックが、ユーザー、リテラシー、デザインのすべてを跨ぐ本質的な問題に関わることを示す報告だった。 以上の問題提起を受けて、討論者の松田美佐は、ユーザー調査の多くが先端的なユーザーに注目してきたことを振り返りつつ、そうした「先端」へ向かう関心のあり方が「計画的陳腐化」と共振してしまうものであることを指摘した。また、もう一人の討論者の水越伸は、柴田報告の中で論じられた「予想外の思考」という論点を受けて、ユーザーがメディアと関わり、ずらし、ブリコラージュするような場や機会の重要性と、それを多様に繋ぐことの必要性を指摘した。その後の全体での討論でも、今回の問題提起から発想されるいくつかの研究アイデアや、「計画的陳腐化」の問題が先鋭に現れる局面の例示など興味深い議論が展開された。


ワークショップ9
マイコンブーム
―「雑誌でつながる」「家庭で触れる」「先端技術のメディア文化」の最終局面―

  • 司会者:白戸健一郎(筑波大学)
  • 問題提起者:前田至剛(追手門学院大学)
  • 討論者:野上元(早稲田大学)
  • 参加者数:25名(内オンライン12名)
    執筆担当者:白戸健一郎

「概要」

 1970年代に普及しはじめたマイクロコンピュータ(=マイコン)は、世界の先端技術に家庭でふれることを可能にしたメディアであった。マイコンは、日本のエレクトロニクス技術が世界を席巻したこととあいまって、技術開発競争、国際政治や貿易摩擦など「激動の世界」を垣間見る「窓」としても機能した。だが、マイコンはそうした経済的意義や国際関係論的意義にとどまらない広範な文化的意義をもった。本ワークショップでは、1970年代以降の「マイコンブーム」を、マイコン「雑誌」という観点から取り上げ、そのメディア文化論的意義について議論を行った。

 まず、前田至剛会員が「マイコン文化再考」という観点から問題提起をおこなった。マイコンは1970年代から浸透し、雑誌の創刊ラッシュも迎えていた。マイコン文化の特色は当時叢生したマイコン雑誌によく現れている。その言説や表象を整理・分析していくと、マイコン文化の担い手たちは、情報革命をもたらすマイコンという先端的技術にふれることを通じて「夢」を膨らませた一方で、過酷な労働環境やキャリア形成、女性にモテないなどの「現実」に直面した。そうした葛藤がオタク的快楽やネット的戯れの技法を生み出したと前田会員は提起する。

 こうした問題提起に対し、野上元会員は、マイコンブームとマイコン雑誌ブームの位相の差異、趣味と孤独との関係、「マイコン」と「パソコン」の語感のもつ社会的意義、さらにマイコン雑誌の終焉にも目を向けることができるのではないかとのコメントを提示した。

 フロアからは読者投稿欄の位相の変化、マイコン文化における女性の位置づけ、通産省やメーカーの動きとマイコン文化の担い手との関係などが問われ、活発な議論がなされた。

 マイコンは今日では透明化・環境化したメディア技術であるといってよいが、これまでほとんど研究されてこなかった。今回の研究テーマはまさにフロンティアを開拓するものであるといえる。本研究会では、こうした研究テーマを共有し、さまざま論点が提起され、今後のさらなる可能性を見出すことのできた大変有意義な会となった。

ワークショップ10
コンピューティングの歴史社会学の可能性:
社会を支えるインフラ・思想としての「計算」

  • 司会者: 飯田豊(立命館大学)
  • 問題提起者:林凌(日本学術振興会特別研究員)
  • 討論者:前山和喜(総合研究大学院院生)
  • 参加者数:(48名)
  • 執筆担当者:林 凌

「概要」

 本ワークショップでは、コンピューティング史・計算史を通じた社会記述の可能性を検討した。私たちの生きる現代社会においては、広義の意味でのコンピュータの行う計算が重要な役割を有していることは論をまたない。また、現代社会に関する批判的研究が生み出してきた諸概念、例えば「管理社会」といったものが指し示してきた問題の根幹には、コンピュータの普及に伴う計算の拡大という現象が強く関わっている。一方で、コンピュータという対象を「経験的」に捉えようとする社会学・メディア論的研究は、これまで多く積み重ねられてこなかった。

 以上の問題意識を踏まえ、本ワークショップではコンピューティング史・計算史と社会学・メディア論の議論の交差を通じて、経験的な知見に基づく「コンピューティングの歴史社会学」の可能性、およびその際障害となる問題点を検討した。

 ワークショップの実施にあたっては、司会者の飯田豊会員より本会の趣旨説明があった後、まず問題提起者である林凌会員が、戦間期日本の国勢調査におけるパンチカードシステムの導入過程を、「管理社会論」の文脈から検討する発表を行った。具体的には、日本の国勢調査におけるパンチカードシステムの導入が、必ずしも成功を収めた訳では無いにも関わらず強力に推し進められた背景として、当時の国勢調査を推し進めた知識人の「管理」をめぐる欲望があるのではないかということを指摘した上で、パンチカードシステムの仕組みがその「管理」を果たす上でいかに適合的なアーキテクチャを有していたのか、という点を論じた。

その後、討論者として近代日本のコンピューティング史・計算史に携わっている前山和喜氏が、歴史分析を通じた「計算」概念と「コンピューティング」概念の新たな弁別可能性と、その社会学的・メディア論的意義について発表した。具体的には、これまで「計算」にまつわる言葉があまりにも未整理のまま多義的に使われていることにより、歴史的事象の厳密な記述が困難となっているということ。その背景には、コンピュータに関する用語は、必ずしも歴史家が正確な定義の上で使う言葉ではなく、コンピュータ技術者も含めた当事者により動態的に生成されるきらいがあるということ。よって実証的見地よりコンピューティング史・計算史を記述するためには、人々の実践的な行為、実際的な目的、技術・工学的な性能などの多角的な視点から対象を分析する必要である、という旨を論じた。

 以上の問題提起・討論を踏まえた上で、最後にコンピューティング史・計算史の知見を用いた、社会学・メディア論の可能性や問題点を総合的に討議した。フロアからは、林報告における社会理論とコンピューティング史の結びつけ方は、批判対象と同じ轍を踏んでいるのではないか、前山報告における「計算」概念と「コンピューティング」概念の区分は必ずしも適切ではないのではないか、といった批判があった。このことからもわかるように、どのように「計算」・「コンピューティング」という対象を分析するかという点について、本ワークショップで必ずしも定まった見解が得られたわけではない。一方で、近現代社会における人々の「計算」・「コンピューティング」をめぐる諸実践に、メディア論や社会学は着目すべきであるという本ワークショップの趣旨については、衆目が一致し、フロアからも具体的事例に関する様々な分析の可能性に関する意見が出た。全体として、問題提起者の意図は概ねフロア全体に賛同をもって共有されたと言えるが、一方で上述したように、その視座や方法論については今後さらなる検討が必要であるといえる。

ワークショップ11
テレビ・イベントの現在地
―『M 1 グランプリ』と「Virtual NHK 」から考える

  • ▼司会者:淺野麻由(国際ファッション専門職大学)
  • ▼問題提起者:辻史彦(朝日放送テレビ)
  • ▼問題提起者:細川啓介(日本放送協会)
  • ▼討論者:松山秀明(関西大学)
  • ▼参加者数:20名
  • ▼執筆担当者:淺野麻由(国際ファッション専門職大学)

「概要」

 メディア環境が激変する現代社会において、テレビ番組は一回放送して終わりという時代ではなくなった。そして、放送以外でも、SNS を積極的に活用したり、動画配信サイトを活用したり、さまざまな展開を見せている。更に近年のテレビでは、みんなが集まる「場」としての「イベント」を提供し、新たなメディアやテクノロジーを用いて、火付け役となってムーブメントを起こしていくようになった。本ワークショップでは、新しいメディア環境やテクノロジーを使った「テレビ・イベント」から「テレビの未來」を考察した。
 まず、2名の番組制作者から、現在の「テレビ・イベント」の事例に関する問題提起があった。一人目は、朝日放送テレビの辻史彦氏である。辻は、『M 1 グランプリ』を立ち上げから現在に至るまで制作に関わってきた。『M1 グランプリ』でのテレビのイベント化には、3つの段階があると言う。第1に、イベントの会場の熱狂的な空気感を伝えること。漫才だけでなく、「余計なモノ」とされてきた、メイキングなどドキュメントを行うことで多くの視聴者の共感を得た。第2に、SNS やネット配信などを行い、イベントの領域を広げていくことである。そこに視聴者が審判を行う仕組みをつくるなど、視聴者が積極的に参加し自分事化するテレビ・イベントとした。第3に、視聴者が漫才を行い「見るM1 」から「やるM1 」とし、新たな参加を広げたことである。これら新たな視聴者参加型のテレビ・イベントの在り方が報告された。
 二人目は、日本放送協会「バーチャルNHK 」コンテンツ部門の細川啓介氏である。2020 年から始まったコロナ禍において対面での取材や収録が困難になった時期に、VR 技術を使った番組制作を始めた。細川によれば、VR 技術を使ったテレビ・イベントには3 つのポイントがあったという。第1に、「心理的距離をこえる」である。例えば、引きこもりの人が、心理的安全性を保った状態から、アバターでテレビに参加することができた。第2に、「時空を超える」である。例えば、沖縄本土復帰5050年の企画では、VRVRで当時の沖縄の街並みを再現し、また語り部も当時の姿を再現したアバターとなった。そこに視聴者もアバターで参加し、当時の沖縄をよりリアルに体感していく。第3に、「偏見を超える」である。「プロジェクトエイリアン」という番組では、VRVRでの「場」をつくり、様々な事情を抱えた視聴者がアバターで参加する。互いの背景を知らずにコミュニケーションをとり、偏見を超えた新たな理解の可能性を示した。これらは、バーチャル空間という新しい「場」を設定しアバターで視聴者が参加する新たなテレビ・イベントの形態が報告された。

 以上をふまえ、討論者の関西大学の松山秀明氏から、あくまで私見とした上で以下の論点が提示された。テレビ・イベントを類型化するならば、第1に、外側をイベント化すること。第2に、テレビそのものがイベントをつくること、そして第3に、テレビが集まる「場」を設定すること、である。辻や細川の事例は、第3番目に当てはまるのではないかとのことであった。これからのテレビでは、一過性の放送だけでなく、インターネットや新しいテクノロジーを使って番組の情報を循環させながら、視聴者が参加する「場」を作ることが重要ではないかとの議論となった。

 会場からは、3次元のイベントを2次元の放送でいかに伝えるかが問われた。テレビの強みはこれまで培ってきた「演出力」であり、今後も、番組として放送する上で非常に重要であること、そして今後新しいテクノロジーと演出力やコンテンツ力をどう結び付けていくかが「テレビの未來」を考える上で重要であると意見が出た。

ワークショップ12 : 
ニュース砂漠と地域ジャーナリズム:
住民による行政監視活動の課題と展望

  • 司会: 小川明子(名古屋大学)
  • 問題提起者:武田剛(屋久島ポスト)
  • 討論者:小黒純(同志社大学)
  • 参加者数 50名(オンライン含む)
  • 執筆担当者:小川明子

「概要」

 本ワークショップでは、住民自ら行政監視とメディア発信を行う事例報告をもとに、その可能性と課題を踏まえ、いかなる支援が可能なのか、参加者とともに小グループに分かれてブレインストーミングを行った。

 第一部では、まず問題提起者として、元朝日新聞編集委員、武田剛氏から「屋久島ポスト」の事例が報告された。武田氏は、環境問題の取材を目的に十年前に屋久島に移り住み、そこで住民から相談を持ちかけられたことを機に、議会や行政をめぐる調査報道メディア「屋久島ポスト」を地元住民とともにウェブ上に立ち上げた。報告では、小さな疑惑、一枚の領収書から情報開示請求を積み重ねることによって徐々に議会や行政全体に及ぶ不正が姿を現す様子や、マスメディア報道機関との連携と限界、そして活動に対するさまざまな妨害についても説明がなされた。ブログひとつの行政監視は、今後、住民団体やオンブズマンによる「草の根メディア」のモデルケースになりうるのではないかといった期待とともに、1) そもそも既存メディアはきちんと地域行政を監視してきたのか、2) 名誉毀損や誹謗中傷、調査報道、政争の具として使われる危険性にどう立ち向かうのか、3) 取材費や運営費をどう捻出するのか、4) 取材ノウハウのない住民たちをいかにまとめられるのかといった問題提起がなされた。

 討論者の小黒純氏は、社会福祉士の住民女性とともに、大津市や滋賀県、地元自治会などを対象にした調査報道を行う「ウォッチドッグ」(前身は大津WEB新報)を2015年1月に立ち上げ、これまで1000本近い記事を掲載してきた。屋久島ポストの事例報告とご自身の活動とを踏まえ、地域のマスメディアが行政監視にさほど関心を持ってこなかったことを指摘され、こうした活動を担う地域の人材をいかに育成できるのか、マスを相手に仕事をしてきたメディア経験者が関わることの可能性と困難についても示された。また寄付や外部資金獲得を含めた資金調達方法や、多様な専門家を含むボランティア、学生たちを巻き込んでいく可能性などについても提示された。

 第二部ではまず、諸外国においてどのような支援がなされているかを確認し、ラウンドテーブルでは、どのようなアクターが協力してその芽を育て、モデル化していくことができるのか、小グループに分かれて討論した。Zoom参加を含む会場からは、公益ジャーナリズムに関する一般的な関心が低い現状に対する教育、啓発をいかに行うのかという課題も提起された。また具体的サポートとして、個人では活動しにくいことを踏まえ、既存メディアや地域に存在する多様なNPOや団体と連携した活動、メディア経験者や大学による調査報道セミナーの開催、ボランティアやインターンとの協力や地域における公共放送の役割なども提起された。また、同様の活動のネットワーク化の必要性も指摘され、このワークショップを機に、今後も引き続き、登壇者や参加者の間で情報交換を続けることとなった。

ワークショップ13:

韓国ドラマにおけるダイバーシティと社会的包摂

  • 司会者:黄 盛彬(立教大学)
  • 問題提起者:橋本嘉代(共立女子大学)
  • 討論者:岡田章子(東海大学)・羅 義圭(福岡大学)
  • 参加者数:33名
  • 執筆担当者:橋本嘉代

「概要」

 はじめに、橋本会員が「問題提起/議論のための予備知識の共有」とし、テーマの背景と韓国ドラマの動向を概説した。近年のエンタメ業界では“多様性”を重視する傾向が強く、社会の周縁に存在する人物に焦点を当てた非英語圏の映像作品への国際的な注目や評価が高まっている。韓国ドラマもその潮流を汲み、ダイバーシティや社会的包摂を作品中の重要な要素として位置づけるようになっており、分析対象となり得る作品数も多い。今回は①2010年代中盤以降の放映・配信 ②グローバルなレベルで消費された   ③百想芸術大賞(韓国のアカデミー賞と称されるもの)で作品賞にノミネートされた、という条件*を満たすドラマを選定し、以下の9作品「ミセン―未生―」「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」「愛の不時着」「梨泰院クラス」「サイコだけど大丈夫」「イカゲーム」「私たちのブルース」「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」「ザ・グローリー ~輝かしき復讐~」を扱うこととした。 *「梨泰院クラス」は③に非該当

 これらの作品について、まず表象レベルに注目し、性自認に悩む人物への接し方、身体および精神的障がいを持つ人物とその周囲の人々(家族、友人、同僚)の描かれ方を見ると、多様性・社会的包摂への配慮が注意深く行われていることがわかる。しかし、これらの傾向はごく最近の作品にしか当てはまらない。2014年の「ミセン―未生―」は商社が舞台の群像劇だが、組織に従順な男性以外は排除され、パワハラや女性蔑視、学歴差別、ルッキズムが頻発する。当時はそのリアリズムが受けて社会現象となり、数多くのドラマ賞を受賞した。2010年代後半以降のドラマでは、このような描写や救いのない筋書きは見られない。この変化を理解するために、ドラマの企画・制作という「生産」のプロセスに注目することが有効だろう。問題提起の締めくくりとして、あるべき理想が描かれることで文化が実態をリードするというポジティブな可能性がある一方で、エンタメが道徳の教材となること、誰かの痛みを商業利用すること、ポリコレが戦略的に利用されるといった問題状況への懸念など、エンタメが社会的包摂を扱うことの意義と困難をフロアに示した。

 討論者の岡田会員は「消費」の観点から韓国ドラマの視聴のされ方に言及した。韓流ドラマは2003年の『冬のソナタ』がまずBSという新しいチャンネルで火が付いたように、新しいメディアから発信され、ブームが起こる。今日の2020年からの第4次韓流ブームは言うまでもなくNetflixの『愛の不時着』から急速に伝播した。ただ、コアな韓流ドラマファンは、2000年代初頭の第一次ブームからDVDやNHK以外のBS局で韓流ドラマを見続け、2018年頃にはすでにNetflixでドラマを楽しんでいた。世界配信が可能になったことで、制作側も従来のマクチャンものを脱却し、「人生ドラマ」と称される、恋愛以外の人間愛や社会問題を扱った見ごたえのある作品に挑戦する傾向が強い。作品でいえば、『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』や『ミスター・サンシャイン』(ともに18年)、最近では『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』(22年)がその例としてあげられる。「人生ドラマ」は長期にわたり根強いファンを獲得し続け、視聴された時間数の世界ランキングで歴代上位に入るなど、新たな形のグローバルな消費をもたらしている。また、『イカゲーム』のようにNetflix自体が制作する番組も増えている。

 次に、羅会員が、韓国ドラマの変化には視聴者のジェンダー意識が影響しているとし、2016年5月の江南駅通り魔事件が韓国社会を大きく揺さぶり、それを機に、旧態依然としたジェンダー不平等に違和感を持つ人が、とくにドラマの中心的な視聴者層である女性の間で増加したことを指摘した。

 フロアからは「これらの作品に対してNetflixから何らかの指示があるのか」「ドラマや音楽のブームを引き起こす文化戦略の主体はどこにあるのか」「9作品のうち7作品の脚本家が女性だが、プロデューサーはすべて男性なのはなぜか」といった質問があり、活発な議論が行われた。後日、フロア参加者からメールで「エンタメこそが社会の支配的なイデオロギーが再生産される場」という示唆に富むコメントをいただいた。参加者と運営者の皆さまにこの場を借りて感謝を申し上げる。今回のワークショップでの議論が今後の研究のさらなる展開やアウトプットにつながることを期待したい。

以上