第9回内川芳美記念メディア学会賞の選考および講評

2023.6.24

選考委員会では、過去2年間(2021年1月1日から2022年12月31日まで)に刊行された原則として50歳以下の会員の作品92点を対象とし、計4回の委員会をオンラインで開催して慎重かつ厳正な選考を行った。まず、候補作を5分の1程度に絞り込み、それらを委員が分担して精読した上で、最終候補作は委員全員がすべての候補作品を精読した上で合議した。合議の結果、全員一致で以下の3作品を受賞候補作に選定した(著者50音順)。

  • 太田奈名子『占領期ラジオ放送と「マイクの開放」』慶應義塾大学出版会、2022年
  • 大尾侑子『地下出版のメディア史』慶應義塾大学出版会、2022年
  • 関谷直也『災害情報』東京大学出版会、2021年

受賞にふさわしいと選考委員会が判断した理由は、以下の講評で示す通りである。

まず、太田奈名子氏の『占領期ラジオ放送と「マイクの開放」』は、『街頭録音』をはじめとする占領期のラジオ番組で進められた一般民衆への「マイクの開放」で、いかに占領軍の意図に沿った声の主体の構築とそこから逸れる人々の肉声がせめぎ合っていたかを多くの放送資料と批判的談話研究(CDS)の方法論を駆使して浮かび上がらせた傑作である。太田氏は、この「マイクの開放」が、決して単純に戦意高揚から民主的放送へのラジオの転換、すなわち上から統制される声から自由に解放された声への転換というような一般に理解されがちな変化を示すのではなく、そこには新たな声の主体を構築していこうとする占領軍の企図がはっきり働いていたことを明らかにしていく。同時に著者は、流された肉声が、声の主と聴取者の間に思いがけない「共鳴」を生んでいった現象にも注目している。

太田氏は、占領期に進められた「マイクの開放」を、「日本放送史において新時代を画した出来事」として抽象的に捉えるのではなく、当時のラジオ番組の台本や音源を丁寧に調査し直し、「新番組の各放送回において、『マイクの開放』が誰に対してなされ、民衆一人ひとりが何を語っていたのか」を具体的に明らかにしていった。そのような意味での「マイクの開放」は、民衆の声を直接マイクに収録する番組だけでなく、投書番組や民衆の声を間接的に取り入れる番組も含まれる。こうして同書は、『真相はこうだ』(1945~46年 第3章)や『真相箱』(1946年 第4章)、『質問箱』(1946~48年 第5章)から『街頭録音』(1946~58年 第6~7章)までの流れ全体を分析し、そこに築き上げられていた無名の人々の間の「声の循環構造」が内包する両義的な政治性を鮮やかに浮かび上がらせた。

選考委員会では、同書が研究目的や方法論的枠組が明確で、使用するアーカイブ資料も充実しており、「声」という対象を実証的に解析できることを説得的に示した点で高く評価された。また、これまでの先行研究のパラダイムに正面から挑戦し、それを乗り超える新しい地平を精密に示している点でも高い価値があるとされた。新たに「マイクの開放」によって召喚された「自由な主体」の「自由」が占領期の体制のなかでどのように構築されたものであったかを示し、その二次的な「声の文化」にどのような政治性が両義的にせめぎあっているかを示した作業として、英語出版すれば海外でも話題になるとの指摘もあった。

次に、大尾侑子氏の『地下出版のメディア史』は、昭和初期の出版界で「エロ・グロ」の潮流をリードした梅原北明を主軸に、彼の周囲に広がっていった文化圏を浮上させ、そこにいわゆる教養主義とは拮抗するもう一つの教養観が水脈として蠢いていたことを実証的に明らかにした快作である。大尾氏は、「エロ・グロ」のメディアを十把一絡げに「低俗」なものとして「高級/低級文化」の図式にはめ込むことはもちろん、「権力/反権力」の二項図式からそこに「反権力」性を過剰に読み込むことも慎重に斥け、むしろ彼らが「高級文化としてのエロ・グロ」を創出することで「高級/低級」「権力/反権力」といった境界設定そのものを揺るがしていたことを明らかにしている。

大尾氏が捉えるのは、梅原ら著者・編集者をノードとする知のネットワークで、このネットワークには異なる知的背景を持つ読者層も含まれる。同氏は、梅原らが「戦前社会においては『風俗壊乱』による発禁のレッテルが貼られる類の」書物を、法の網をかいくぐり、このネットワークを通じて「半合法的な手法で頒布」していたことに注目している。彼らの実践は、円本や全集に反発する点で「反大衆教養主義的」であり、そこには「『高級文化(正統)』を気取る岩波文化とも、あるいは『低俗(非正統)』に開き直る粗末なカストリ文化とも異なる、『知』へのアンビバレントな価値観が横たわって」いたと大尾氏は主張する。こうして同氏は、出版資本に対抗して文筆業者の誰もが参加可能なメディアたることを標榜した『文党』(第一章)、その人脈を引き継いだ文芸市場社とそこでの「左翼」と「エロ」の関係(第二章)、同社がパフォーマンスとして行った街頭での直筆原稿の叩き売り(第三章)、さらに彼らが西欧から導入した「変態」概念を軸に形成した学歴や職業を越えた趣味のネットワーク(第四章)、梅原らの限定艶本叢書が円本ブームに痛烈な批判を繰り広げたこと(第五章)、梅原らが官憲の追及を逃れるために上海に渡り、外地から「猟奇」のネットワークを広げたこと(第六章)等を、原資料に基づきスリリングに浮上させていく。

選考委員会では、同書がアカデミズムと在野の認識地平を架橋しつつ、従来の教養主義をめぐる議論に対して新しい地平を切り拓く挑戦的な作業であることが高く評価された。また、対象に深く入り込んだ迫力のある記述となっている点も高く評価でき、教養主義をめぐる議論のなかに自らを位置づけつつ、教養そのものが内包している捩れを浮かび上がらせていく戦略が成功しているとの評価があった。さらに、同書は本学会のメディア史研究の系譜上に位置づくだけでなく、山口昌男が展開した「敗者の精神史」に通じる人類学的方法を実践しており、また海外では、地下出版についてのロバート・ダーントンの仕事や「エロ・グロ・ナンセンス」についてのミリアム・シルバーバーグの仕事にも通じるとされた。

最後に、関谷直也氏の『災害情報』は、東日本大震災に焦点を合わせつつ、これまでの多くの防災研究者によってなされてきた災害情報・コミュニケーション研究の蓄積を総合的に整理し、今後の防災研究に資する知的基盤と方向性を示した労作である。関谷氏は、防災や避難、災害後の集合的な社会心理を理解するには、社会心理学やメディア・コミュニケーション研究の社会科学的な基礎づけが必須であることを強調し、認知枠組(第Ⅰ部)、集合現象(第Ⅱ部)、メディア(第Ⅲ部)、情報(第Ⅳ部)の4つの次元から自然災害の危機が生じた際のコミュニケーション全体を俯瞰し、社会心理学的なコミュニケーション研究の成果を防災に役立てていく方途を探っている。

たとえば、第Ⅰ部第1章では、「想定主義」「精神主義」「仮説主義」「平等主義」といった認知枠組が、危機のなかで人々がとる行動にどのような陥穽として機能する可能性があるかが統計データも駆使しながら示される。続く第2章では、具体的に「車避難」の是非についての一筋縄ではいかない状況が論じられる。さらに第3章では、東日本大震災における人々の避難パターンが、関谷氏自身の調査にも基づいて紹介され、続く第4章では、そうした避難行動の促進及び阻害要因がこれまでの社会心理学的諸理論に基づき詳細に検討されていく。同じように第Ⅱ部では、大災害のなかで生じがちな流言やパニック、被災した人々の間で増殖していく不安や不信、さらには風評被害や自粛ムードが、どのような情報流通と心理的メカニズムに基づくのかが検討される。これらの社会心理学的な検討を基盤に、同書の後半では災害時のメディア報道や情報発信が具体的に検討されている。

選考委員会では、同書は東日本大震災をめぐってなされた諸々の災害情報研究の成果を集大成したものであると共に、1980年代から継続されてきた社会心理学的災害行動研究のマイルストーンの意味を持つとの評価があった。とりわけ同書は、災害情報研究にとって将来的に必要かつ有効な方法と対象を、豊富なデータと共に幅広く示しており、今後の災害をめぐるメディア、ジャーナリズム、コミュニケーション研究の広がりと進むべき方向性を展望するものだと評価された。

なお、最終的に受賞候補作として選ばれたのは以上の3点だが、選考過程で検討した作品にはメディア・コミュニケーションに関する理論的考察を深める作品も含まれていた。本学会では、歴史研究や実践的な調査研究はもちろんだが、理論的な研究でパラダイム開拓的な作品が生み出されていくことも大いに期待されていることが選考委員会でも確認された。

今回、第1回、第4回に続き、3度目の3人の受賞者を出す結果となったが、最終候補作を精読した選考委員全員が、前述の3作品はいずれも卓越した研究成果であり、今後のメディア、ジャーナリズム、コミュニケーション研究の発展に大きく寄与する点でまったく甲乙つけがたいとの認識で一致した。また、日本メディア学会へと学会名称を変更した最初の内川芳美記念学会賞の受賞となる今回、本学会の領域的広がりと深さを内外に示す意味でもこれら3つを受賞作とすることが望ましいと考える点で全選考委員の意見が一致した。

第9回内川芳美記念学会賞選考委員会吉見 俊哉(委員長)

伊藤 昌亮(成蹊大学)

遠藤 薫(学習院大学)

大澤 聡(近畿大学)

小川 博司(関西大学)

竹下 俊郎(明治大学)

別府 三奈子(法政大学)