研究会一覧に戻る

第33期第1回研究会「原発とメディア」(放送研究部会)終わる

日   時:2011年10月28日 午後6時45分〜9時
会   場:上智大学12号館201番教室
問題提起者:吉岡 斉氏(九州大学)
討 論 者:七澤 潔 (NHK放送文化研究所)
司   会:西村秀樹 (近畿大学)
参 加 者:約100人
記録執筆者:西村秀樹

2011年3月11日に発生した東日本大震災と大津波が東京電力福島第一原発を襲ってからすでに7か月余。いまだに約10万人が避難を余儀なくされている。こうしたなか研究会では「原発とメディア」をテーマにとりあげ、前半では3月11日にいたるまで日本のメディアはどのような姿勢で臨んできたのか、後半では3月11日以降、テレビはどのような姿勢で伝えたか、問題点は何かなどを論じた。

前半の討議で吉岡斉氏は、「原爆被爆国の日本がなぜ原発大国になったのか」と「日本が原発大国になっていくにあたって、メディアはどのようにかかわったのか」を中心に発言。このなかで氏は、原発開発に日本の世論はほとんど無縁であったこと、つまり日本ではメディアは原発推進の当事者になったことはなく、唯一の例外が原子力の平和利用が叫ばれたころの読売新聞社主正力松太郎氏であったことを指摘した。

また七澤潔会員からは、1960年代、テレビが「鉄腕アトム」などで原子力の広報の役割を果たしたことや、1980年代、チェルノブイリ原発事故で科学技術番組が登場したこと、さらに1990年代、日本経済の失速とともに民放の多くが電力城下町になっていった経緯と、番組放送打ち切りなどの実例が紹介された。

次いで後半の討論にうつり、吉岡斉氏は「テレビの原発報道は量的には豊富であったが、質的には貧弱だった」と総括。特に『大本営発表』に従順すぎた。自らの取材ができたはず」との批判があった。七澤潔会員からは『ETV特集・ネットワークで作る放射能汚染地図』制作にあたっての裏話の披露や、メディア側の知識不足がそのまま取材力の不足に結びつき、重要な問題に切り込めずにいた事実、政府の「ただちに健康被害はない」との発表をたれ流して伝えておきながら、その一方で政府の定めた取材規制「30キロ圏内立入禁止」を受け入れたメディアの無定見ぶりを指摘した。そして七澤潔会員は「自己鍛錬を怠ってきたツケが今回の有事で露見した」とまとめ、100人を越す出席者に深い感銘を与えた。

(この研究会は上智大学新聞学科との共催で開催した。企画:小原道雄会員、西村秀樹)               

※本研究会開催については、事務局のミスにより、前号の会報でお知らせすることができませんでした。関係各位ならびに会員の皆様におわび申し上げます。