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第32期第15回研究会「新潟水俣病報道―善意と社会正義の舞台裏から」(ジャーナリズム研究部会企画)終わる

日 時:2011年3月9日(土) 15:00〜17:00
場 所:慶應義塾大学三田キャンパス 大学院棟352教室
問題提起者:関 礼子(立教大学)
司 会:烏谷昌幸(武蔵野大学)
参加者:12名
記録執筆者:烏谷昌幸

ジャーナリズム研究部会では、今回、水俣病事件報道をテーマとして取り上げた。これは「ジャーナリズムと社会問題」が本学会に欠かせない重要な研究テーマのひとつであることに加えて、2007年度の春季研究発表会におけるシンポジウム「水俣病事件報道の検証」から問題意識を継続・発展させるという目的もあったからである。

問題提起者の関礼子氏には、これまでの環境社会学者としての研究の蓄積と、さらには長年新潟水俣病事件の支援運動に関わってこられた経験を踏まえて問題提起をして頂いた。

関氏の報告は、報道が様々な理由から<思考停止>に陥っているのではないかという問題意識を率直に語るところから始まった。その後、新潟水俣病事件の概要、これまでの事件報道の概略などについて説明が行われ、そのうえで第3次訴訟報道を中心的な事例としつつ予言的報道が抱える問題点や報道が事実を歪めていった具体例について、映像を交えて議論が行われた。

報告後の質疑応答では活発なやり取りが行われた。論点は多岐に及んだがここでは二点だけ紹介しておきたい。第一は新潟と熊本を対比させることで見えてくる問題群であり、これは最も議論がヒートアップした。例えば熊本の事件では地元紙熊本日日新聞が事件に長く積極的な関わりを持ってきたのに対して、新潟では地元紙が比較的消極的であったという関氏の指摘に対して、フロアーを交えてその原因が議論された。フロアーからは、患者運動組織にとっての「訴訟の意味づけ」が新潟と熊本で異なっている点がどのように報道の違いになって表れているかを考えるべきではないかという興味深い指摘が行われた。また、ジャーナリストも研究者も新潟より熊本に注目する傾向があるのはなぜかという疑問が提起されて、双方の事件における「被害の大きさ」の違いなども議論された。この点は患者の認定基準の厳格性にも関わる問題であることが議論された。関氏は、大きなものに注目が集まることは自然なことではあるが、それだけに小さなものに注目することで見えてくるものを大切にしたいと強調した。

第二は、報道に求められる役割についても興味深い議論が行われた。関氏はかつて公害報道が盛んに行われた時代には、報道が次の時代に必要な新しい社会規範や倫理を構築する役目を果たしたが、現状はどうだろうか、思考停止に陥っていないだろうかと繰り返し問いかけた。その上で「未来をつくる」という強い目的意識がジャーナリズムにおいても大切であると述べた。この問題提起を通して交わされた議論においては、ジャーナリズムの客観性、当事者性に関わる興味深い論点、例えばジャーナリストが当事者性を強め、情報源に近づき過ぎることは、無関心層を含む世論からのしっぺ返しを招く危険性があることや、語尾の表現ひとつで書かれた側が生きたり死んだりするということなどが議論された。

非常に濃密な2時間であり、有意義な研究会であった。そのためか研究会の終わりには「ジャーナリズムと社会問題」をテーマにもう一度研究会をやってもよいのではないかとの意見も出たことは大変印象的であった。