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第32期第11回研究会「ポスト(?)複製芸術論を考える」(理論研究部会企画)終わる

日 時:2010年11月6日(土) 14:00〜17:00
場 所:同志社大学今出川キャンパス クラーク記念館(CL館)2番教室
問題提起者:前川 修(神戸大学)
討論者:門部昌志(長崎県立大学シーボルト校)
司 会:後藤嘉宏(筑波大学)
参加者:9名
記録執筆:門部昌志

30年代のメディア理論と現代について美学者とマスコミ研究者で議論したい旨、司会者の後藤会員より説明があった。第一報告で前川氏は、複製芸術論を巡る時差/ズレを強調した。第一は、沈静化した芸術運動に言及するベンヤミンと同時代とのズレであり、ノスタルジーやメランコリーではない、メディア考古学的視座において引き受けられる。第二は、過去の方法を現在に適用するズレに関わる。ハンセンを参照する前川氏は、ベンヤミンが現実と映像間のイコン的透明性を前提にしがちという。イコンは、物質性が透明で身体性や認識過程の摩擦を欠く、統合関係を発揮する記号である。インデックスは物質性や対象との時差が明瞭で、身体性や認識過程の摩擦が顕著な断片的記号である。模倣論や複製芸術論の註に言及する前川氏は、ベンヤミンのインデックス的、アレゴリー的方法に注目、それを「喪失」と「喪失の喪失」(北田暁大会員)の間に差し込み、第一の時差に関連づける。第三に、ベンヤミンにおける新旧メディア間のズレへの注視が強調される。現代写真論の袋小路を脱するため、この視点を現在の写真的なものやそのズレに適用することが提案され各論に移る。①ヴァナキュラー写真は匿名のステレオタイプ的制作物だが、移動により変容し、共同体からの逸脱や機械的反復性とは違うズレがある。②デジタル写真に関してはメディア間の相互参照における摩擦の焦点化が提起され、これらを踏まえて③心霊写真が論じられる。門部会員は、書き手に転化する読み手に関するベンヤミンの文章から公共圏論や能動的視聴者論、ニューメディア研究までを辿った。模倣的なユーザー生成コンテンツの戦術的創造性も指摘されたが、カスタマイズ等の民衆的戦術を前提にする企業の動向や戦略と戦術の反転についての指摘(L.マノヴィッチ)も紹介された。また、文化的生産における受動性の告発の極端化には懐疑も示した。質疑応答 ではベンヤミンの触覚概念とド・セルトーの戦術概念の近さが指摘された。ヴァナキュラー写真はブリコラージュ的だが、近年は値上がりし、バッチェンがスナップと呼び始めたこと、ヴァナキュラー/制度という対立の硬直性、戦略と戦術の動態的な転換も語られた。制作者/ユーザーの対比に加え、アーキテクチャ間の相克や公私の相互陥入に注目する声もあった。弁証法や技術決定論の問題、音楽への適用可能性、視聴者の構築やユーザー概念も論じられた。