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■第31期第11回研究会「通信教育のメディア史」(メディア史研究部会) 終わる


日   時:2009年2月28(土) 15:00~17:30
場   所:同志社大学新町キャンパス渓水館1階会議室(京都市上京区)
問題提起者:井上義和(関西国際大学)
討 論 者:竹内洋(関西大学)
司   会:河崎吉紀(同志社大学)
参 加 者:17名


通信教育はこれまで教育学の範囲にあり、メディア学として語られることが少なかった。この研究会では、佐藤卓己・井上義和編『ラーニング・アロン──通信教育のメディア学』を手がかりに、従来、メディア史において看過されてきた通信教育について理解を深めたいと考えた。  まず、教育社会学者の井上義和氏から、「「孤独な学習」はなぜ挫折するのにやめられないのか」という論点が提起された。「孤独な学習」は、不遇からの一点突破を目指す個人においても、教育の機会均等を目指すシステムにおいても挫折をともなう。はじめに、ユーキャンのテレビ・コマーシャル「行政書士編」に描かれる青年を例に、通信教育の誘惑と挫折について具体的な説明があった。次に、『ラーニング・アロン』に含まれる命題を整理し、通信教育が社会関係資本に及ぼす影響について懐疑的であるという本書の姿勢を検討した。「はじめに」で示された仮説と各章にはずれがあり、メディアと社会関係資本の相関という点について改めて整理がなされた。技術の発達により通信教育が信頼や共感を生みだすというより、むしろ、信頼や共感がなければ挫折してしまう。つまり、「孤独な学習」の成否に社会関係資本が影響するのではないかという。

続いて竹内洋氏から自らの体験をふまえて、通信教育のメディア別に講評が行われた。たとえばエリートとノンエリートの昇進幅の交差が希望を抱かせるように、「蛍雪メディア」としての通信教育は階層の流動性に関係がある。その点で、労働組合における上昇移動に着目してもよい。一方、挫折については、通信教育のみならず、教育そのものに挫折が組み込まれているのではないか。いくら教育しても受け皿がなければ「成功」ということにはならないとし、教育の平等が社会の平等を解決するわけではないというモデルが紹介された。  最後に参加者が具体的な実践例をあげつつ、討論者の問題提起などについて応答が行われ、また、フロアから社会関係資本と通信教育の関係性の一般理論をもとめる議論があり、活発な討議がなされた。