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■ 第30期第9回研究会終わる
   (主催:国際交流委員会、共催:ジャーナリズム研究部会)


研究テーマ : 「南極における国際交流とマスメディアの役割」
開催日時  : 2006年5月29日(月) 午後6時30分〜8時30分
場所    : 新聞協会 7階大会議室
問題提起者 : 柴田 鉄治(国際基督教大学)

 講演者の柴田鉄治氏は、元朝日新聞の記者で、1965年から66年にかけて第7次観測隊に同行して南極へ行った。そのときの取材で、南極が深く胸に突き刺さった。大自然の素晴らしさに魅せられただけでなく、各国の基地を歴訪して、南極が「国境もなければ軍事基地もない平和の地」であることを実感したという。  それから40年。「もう一度、昔の取材現場に立ってみたい」と第47次観測隊に同行願いを出し、昨年11月からこの3月末まで南極を再訪した。今回の講演は、その現地報告を中心に、現在、南極を舞台に展開されている国際交流・国際協力の現状、それを伝えるべきマスメディアの役割などについて、パワーポイントを使って新旧の現地の写真を見ながらの話である。

 日本の南極観測に関しては、白瀬矗(しらせ・のぶ)が私財を投じて探検に行ったことが知られているが、この時、政府は彼に対して冷たく援助はなかった。そこで、朝日新聞がバックアップをすることにし、読者に募金を呼びかけて協力したが、結局彼は生涯、多額の借金に追われた。
 戦後、朝日新聞の矢田喜美雄記者が国際地球観測年(IGY)の事業として、日本も南極に観測隊を送ることを提案。永田武氏や茅誠司氏ら学者の賛同を得て、1955年に参加を決定した。この時は国民も熱狂的に歓迎した。
 南極観測船「宗谷」は小さな船でたびたび氷に閉じ込められ、ソ連船に救出を要請するなど大変だったが、次の「ふじ」はその2倍、3代目の「しらせ」は4倍の大きさで、性能もよくなった。それでも氷の海はなかなか厳しく、今回もチャージング(後退して体当たりする)を500回も繰り返して昭和基地に着いた。砕氷船は氷を割るのでなく、踏み潰して進むのである。
 南極は美しいが、基地周辺はすぐにゴミの山と化す。環境を汚してはいけないので、このゴミは船で日本に持ち帰る。電気は欠かせないが、白夜の夏の間はそのうち10%程度は太陽光発電でまかなっている。
南極では、どの役割・担当で参加した人も全員労働者として働く。この建設現場のような生活とシステムは40年前と変わらない。変わったのは、コミュニケーションの方法で、40年前は、原稿を電報用紙にカタカナで書き、通信士がモールス信号で打っていたが、今は皆がメールで気軽に日本と連絡をとっている。
 南極は宇宙に開かれた地球の窓であり、オーロラもあれば隕石も降って来る。オゾンホールのような地球の病気はまず南極に現れ、科学観測の面でも国際的な意味は大きい。
 しかし、それ以上に大事な意味があるのは、1959年に制定、61年に発効した「南極条約」である。第一条は、軍事利用の禁止、第二・第三条は、科学観測の自由と国際協力、第四条は、領土権の凍結(これは30年の改定期を経て実質的に放棄したのと同じ状況に)、第五条は、核物質、放射性廃棄物処理の禁止、である。 制定の動機は、厳しい冷戦下、米ソの互いに相手側への不信感からであったが、出来上がった結果は、理想的な平和の枠組みとなった。この条約の原署名国は、日本を含む12カ国。最初は、南極に領土権を主張していた英、仏、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、チリの7カ国が反対していたが、米ソの説得でまとまった。
日本は戦前、白瀬隊の探検を論拠に南極に領土の請求権があると主張していたが、戦後の講和条約でいち早く放棄しており、凍結を説得する側に回った。人類の共有財産とする考え方は、その後できた宇宙・天体条約や、海洋条約にも引き継がれている。

 このような意味のある南極なので、青少年の教育にもっともっと南極を使って欲しいし、マスメディアももっと報道をして欲しい。今回、わたしが行けたのも、どこの社も記者を派遣しなかったからだ。この点ついては、年1回の船便しかない日本隊のシステムが問題だ。夏だけの参加でも最短で4ヶ月間かかる。そのうち2ヵ月半は船の中なのだ。
もっと飛行機を活用して人員の交代などを行い、随時いけるようにすることが望ましい。この方法でアメリカなどは定期的にジャーナリストを南極に招待するなど、活発な動きをしている。一方、アジアで南極に行っているのは、日本のほか、中国、韓国とインドのみである。日本が設営面を支援して、その他の国々からも観測隊が参加できるようにしてあげるべきだろう。
地球環境を守るためにも、世界の平和を守るためにも、世界中のマスコミが“南極キャンペーン”を行って、地球上で人類の理想を実現している南極の姿を世界中の人々に見せて欲しい。

 この後、26次越冬隊に参加した東北大の福西浩氏が、「南極はインターナショナルなはずなのに、日本は国内的に行動している」とし、国際的なチームで科学を研究したり、もっと基地間の交流をしたりすべきだと提言した。また、昭和基地は当時の日本の国際的地位から不便な場所に割り当てられたので、もっと他の場所にも基地を造るべきだとし、南極観測のどこに問題があるのかを、メディアがもっと検証しなければいけないと指摘した。
 つづいて、ジャーナリスト、研究者、学生などが質問や感想を述べた。
 2007年はIPY(国際極年)なのに、日本は研究プロジェクトも少ないという。柴田氏は「南極は地球の憲法9条であり、世界の平和を守るためにも、映画や講演などの南極教室を通じて、南極の素晴らしさを若い人たちに伝えたい。私も残りの人生を“南極の語り部”として生きたい」としめくくった。

(文責: 小玉美意子)