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■ 第30期第10回研究会(マルチメディア研究部会企画)終わる


研究テーマ : 「デジタル時代のアナログ音文化:
          我々が喪失したかもしれぬ経験の諸相」
開催日時  : 2006年9月10日(日)1時30分〜4時30分
場所    : 関西大学天六キャンパス(大阪市)
報告者   : 蔦秀明(つた・ひであき)氏
         大衆文化研究家、ジュークボックスコレクター
      : 松井久(まつい・ひさし)氏
         蓄音機コレクター。研究家。
コメント  : 水越伸(東京大学)
司会    : 寺岡伸悟(奈良女子大学)
参加者   : 20名

 「デジタル時代」という言葉が現代社会の代名詞の一つとして定着してすでに久しい。しかし、様々なデジタル機器が新製品として華々しく登場する影で、少なからぬ数のモノが姿を消していった。その過程で生じた変容を、生活世界のレベルで問うことは、これまでさほど熱心には行われてこなかったのではないだろうか。マルチメディア部会では、こうした問題意識から、昨年度は、「カメラ」に着目して映像とそれを取り巻く世界の変容を考察したが、本年度は、生活世界の重要な構成要素である「音」に着目し、考察を深めることとした。

 今回の研究会における考察の対象として、手回し蓄音機とジュークボックスを選定した。

 第一報告者の蔦氏は、大衆文化・大衆娯楽の研究家であり、とくにジュークボックスについては、設置場所の長期にわたる実地調査や、自らジュークボックスのミニコミ誌を発行して来たことでも知られる。今回は、ジュークボックス開発・発展史、また多様な形状についてカタログ資料などで解説いただくとともに、豊富なスライドを用いて、それらが活躍していた場所の様々な光景を示していただいた。氏によれば、かつてジュークボックスは、喫茶店だけでなく、各地の展望タワー、旅館、さらに列車や客船の娯楽室、理髪店など、実に多様な場所に置かれていたという。やがてカラオケの登場とそのボックス化、また多人数で慰安旅行に出かけるような余暇行為の減少などによって、ジュークボックスはその存在場所を失っていった。また、限定された曲数しか再生できないジュークボックスは、国民的歌手や世代を超えたヒット曲などがうみ、内部の仕組みなどについても詳しくご紹介いただいた。

 第二報告者の松井氏は、蓄音機のコレクターであると同時に、各地で蓄音機の演奏会を開催し、多くの人々にその生の音に触れる体験の場を提供されている実践家でもある。氏も、会場に持参くださった蓄音機と多数の音盤をもとに、その仕組みやタイプについて詳細に説明してくださった。音の振動をそのまま刻んだ音盤の溝を、実際に針でなぞることによって音を再生させるため、豊かな音が再生され、また溝の磨耗により、二度と同じ音は再生されないことなど、デジタル音との違いに視点をすえながら詳しく説明くださった。また、氏は、蓄音機からLPプレーヤー、さらにCDプレーヤーへと、新しい機器が出るたびに、それまでの再生機が急速に使用されなくなっていくことを指摘し、音楽再生機にとどまらない、日本人と生活機器の関係が生活文化にもたらす影響について注意を喚起された。

 二人の報告をうけて、コメンテーターの水越氏は、例えば大衆消費文化の象徴的存在を反映するかのようなジュークボックスのデザインの変遷(摩天楼、車、戦闘機)や、蓄音機が主として多くの人に同時に聴かれる音を発するメディアとして普及したこと、また、ジュークボックスが設置された場所の共通性から、こうしたメディアが、多くの人が集まり娯楽の空間を共有するという、ひとつの空間文化を産み出し支える役割を果たしていたこと、そこでは音質だけでなくそれがモノとして持つ形状、デザイン、存在感自体も重要な役割を果たしていたことを指摘した。アナログ機器は、デジタルとの音質比較だけでは語れない文化生成力を持っていたことが確認されると同時に、デジタル音文化の到来とともに我々が失った経験をどのように再構築していくべきかという新たな課題が浮上することとなった。

 研究会当日は、若い会員の参加者も多く、ジュークボックスの操作や、蓄音機によるSP盤の演奏をはじめて耳にするという人も少なくなかった。ジュークボックスが醸し出す雰囲気や、蓄音機から響く音の艶やかさに、驚きの声がもれ、刺激的な研究会となった。