研究会一覧に戻る

■ 第30期第1回研究会(理論研究部会企画)終わる終わる


テーマ:「テレビ文化のグロ―バル化とその研究の理論的前提」

問題提起者:小池 誠 (桃山学院大学文学部)
討論者:石田 佐恵子 (大阪市立大学文学部)
司会者:島岡 哉 (京都大学大学院文学研究科・院生)
日時:6月11日(土)14:00〜
会場:同志社大学今出川キャンパス 弘風館4階49番教室
参加者:14名


 2005年度の理論研究部会は、文化・社会人類学におけるエリアスタディーズの方法論に基づき、インドネシアをフィールドとしてテレビ文化研究を行っている小池誠氏の報告で幕を開けた。本研究会報告でまず特筆すべき点は、報告者自身の調査地との関わり方や調査の経緯が、報告の冒頭から織り込まれていたことである。記録原稿執筆者の私見ではあるが、通例、学会や研究会の報告では、結論やいわゆる「オチ」に興味が集中しがちであり、調査方法自体に対する疑問が提示されることは少ないように思う。しかし、氏の報告は、フィールドワークを行なう者にとって(あるいは、何らかの調査を行って論文を書いている者にとって)は、調査者自身のポジショナリティーや調査方法論に対する反省的自覚を持つことが現代のフィールドワーカーの必須条件であることを、はっきりと示していた。氏は、この点をふまえた上で、長年のフィールドワークによって得られた詳細なデータを提示し、議論を展開していった。

 報告ではまず、インドネシアにおけるテレビ小史、テレビ普及の実態、国営放送と民放各局における外国製番組の割合、放送法の改訂の経緯などについてのデータが提示された。次に、インドネシアのテレビ番組編成において、どのように、日本、韓国、台湾、香港などのアジア制作の番組や中南米や英語圏の番組、および日本のマンガ番組が受容され流通しているかが紹介された。最後に、日本製アニメーション「花より男子」(神尾葉子作)が、"Meteor Garden"と名付けられテレビドラマ化されて人気となり、ドラマに出演した男性俳優が「F4」とよばれインドネシア全土で人気を獲得してゆく過程が紹介された。

 インドネシアにおけるテレビ放送の現状を踏まえて、氏は、テレビ番組をめぐる言説(新聞やネット上における)の検討を行い、以下の4点の知見を提示した。第1に、グロ―バルとナショナルに関連する放送法の条文においては、インドネシアという国民国家を前提としたナショナルな条項が見られないこと。第2に、中国ドラマの紹介をおこなっている活字メディアの言説では、中国の番組紹介の中に日本のドラマの紹介が含まれていることから、「リージョナル」という概念そのものが重層性を持っていること。第3に、F4ブームなどの現象に関する2002年以降の活字メディアの記事には、外国製番組の流入を「文化的襲来」として強調するようなナショナルな言説が認められないこと。それに対して、インターネット上では、テレビを題材として語ることによってナショナルな言説が立ち現れていること。第4に、こうした現状は、テレビ番組を語る人々が持つ、インドネシア人という前提そのものに差があるために起こるのではないか。報告者は、主にこれら4点についての指摘を行った。

 小池氏の報告を踏まえて、討論者の石田佐恵子氏から4つの指摘があった。

 1,大きな問いとして、グローバル化を分析軸とした研究手法が今後どれぐらいの射程を持つのかという研究そのものの可能性を見据えた指摘。2,テレビ文化のようなポピュラーカルチャーにおける「グロ―バル化」とはそもそも何か。3、テレビ番組の表現形式という問題を考えれば、方言が標準語化していくようなスタンダライゼーションが起こっているのではないか。4,小池氏はかつて「インド映画」について考察した論文を書いておられるが、西アジアで起こっている潮流は、今回の報告と同じくグローバル化と言えるのか。討論者からはこれらの論点の提示と疑問提示がなされた。

 報告者はつぎのように回答している。テレビは形式としてグローバルであるが実態としてナショナルなものになっていく側面がある。テレビをソフトやコンテンツという形式で捉えたときには「色やにおい」といった側面を持つことは否めない。テレビとローカルとの関わり、特にコミュニティーテレビなどの問題点を考えねばならない。今回の報告はマクロな側面に着目したものだが、テレビ文化の担い手や人の移動があってグローバル化が進むことも考える必要がある。以上の4点が、報告者からの回答であった。

 その後は続けてフリーディスカッションとしたが、参加者からは、小池氏の報告と石田氏の指摘を踏まえ、問題系を拡大した問題提起がなされた。紙幅の都合で記録者の側でまとめさせていただくと、大きくわけて以下の5点の問題系が議論の中で提示された。

 1,インドネシアという地域特性の問題。CATVなどが、グローバリゼーションの中でコミュニティーを維持する可能性があるのではないか。
 2,ラジオのような他のメディアとテレビ文化の関わり合いの問題。
 3,宗教の問題。西側諸国のテレビ番組が宗教上の理由で排除されていることはないか。
 4,テレビの受容者層の問題。昼間の番組の受容者は農村出身のメイドさんたちであるという先行研究もある。先行研究が指摘するジェンダーバイアスや、テレビ番組のジャンルと受容者層の関わり合い方についてはどのようにお考えか。
 5,グローバルとリージョナルの対抗関係の問題。特に、東アジアの方 (角)に向けてインドネシアの人々がアイデンティフィケーションしていくということはないのか。テレビ・メディアとエスニシティー、アイデンティフィケーションの関連性。

 これら5点の問題系は、グローバル化時代におけるメディアの研究を進める上で、理論的に考えてゆくべき根源的課題である。したがって、研究会という限られた時間の中で解決できる問題ではない。しかし、今回の研究会出席者の学問領域が、メディア論、メディア史、社会学、人類学、工リアスタディーズなどの多様な領域にまたがっていたからこそ、活発な討論が行われたと言えるだろう。今後は、今回の研究会を皮切りに、領域横断的にメディア研究の方法論を自問し論議する場が設けられることを期待したい。

(記録原稿執筆:島岡 哉)