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■ >第29期第12回研究会(メディア史研究部会企画)終わる


テーマ:「新聞用紙から見る新聞史」

報告者:井 川 充 雄(静岡大学)
討論者:吉 田 則 昭(日本ABC協会)
司会者:竹 山 昭 子
日 時:2004年12月3日(金)午後6時〜
会 場:日本新聞協会大会議室(日本プレスセンタービル7F)
参加人数:14名<


 今日、新聞は大きな変化の波にさらされている。すなわち、インターネットの普及により、新聞の存在形態そのものの根幹が揺さぶられているといっても過言ではない。しかしそのことは、これまでの「新聞」が、<紙>のメディアであったことを再認識させてくれる。そこに「新聞」というメディアを再考させるきっかけがあるだろう。新聞用紙の問題は、明治期から現在に至るまで新聞の経営を大きく規定する条件であったにもかかわらず、必ずしも十分明らかにされてきたわけではない。新聞用紙、新聞の流通経路から新聞の歴史、新聞の発展を見ることによって、今までとは異なった新聞研究の展望が開けてくるのではないかと考えられる。

 こうした観点から、井川氏は、戦時期および占領期における新聞用紙の配給・統制についての報告を行った。それによれば、戦時下の用紙統制は、物資総動員の一環として開始され、1940年5月、内閣に新聞雑誌用紙統制委員会が設置された。一県一紙制への新聞統合は、用紙配給をてこにして行われた。戦後、GHQの民主化政策によって新聞出版用紙割当制度は修正された。占領初期の用紙割当においては、既存紙に比べ新興紙が優遇されるような状況があったため、新興紙の創刊ラッシュが起こった。また、占領末期には、『アカハタ』に対する割当削減など言論政策として用紙割当制度が用いられた。

 報告の後半では、この政党機関紙の割当修正をめぐる政治過程が、第一次資料に基づいて説明された。『アカハタ』に対する割当削減は、CIE(民間情報教育局)が用紙割当委員会に対して4度にわたる覚書で指令したものだが、そこには日本政府からの働きかけもあったことが明らかにされた。

 以上の報告に対して、吉田氏が、新聞社の経営の問題を捉えることの必要性や、出版用紙の割当との相違点、業界団体などの役割などについて、資料を提示しながらコメントを行った。

 また、今回の研究会には、新聞史のベテランの研究者から若い大学院生の方々まで、幅広い年齢層の参加者があり、用紙の問題をメディア史に位置づけることの重要性や、諸外国との比較の必要性、センカ紙などの用紙生産の実情の理解など、多くの観点から活発な討論が行われた。

(記録執筆:竹山昭子)