研究会一覧に戻る

■ 第29期第10回研究会(国際交流委員会企画)


テーマ:「韓国における太陽政策と南北放送交流について」

報告者:朴  権 相(成蹊大学客員研究員、前韓国放送公社社長)
司会者:奥 野 昌 宏(成蹊大学)
日 時:2004年3月27日(土)、14:00〜16:30
会 場:成蹊大学10号館第1中会議室
参加人数:11名


 国際交流委員会は韓国放送公社前社長朴権相氏を報告者とする上記研究会を企画、実施した。同氏は金大中政権下における韓国放送界の主導者のひとりであり、また同政権が掲げた対北朝鮮宥和政策の理解者でもあった。そして金大中前大統領の平壌訪問に同行するとともにその後の南北間の放送交流を推進し、この間金正日氏との会見も経験している。

 研究会ではまず、放送交流の経緯やこれに伴う北側の変化に触れつつ文化交流の持つ意味や力(ソフトパワー)について報告者の経験を基礎にした報告が次のとおりなされ、その後、参加者の間で質疑応答や意見交換が行なわれた。

 1. はじめに
 2. 太陽政策の概要
 3.南北放送交流の状況
 4.南北放送交流の意義
 5.結び

 2000年に南北間の公式のメディア交流となる放送交流が始まるが、同年の前半まではKBS(韓国放送公社)は北朝鮮側が南側の中でもっとも嫌う報道機関であった。すなわち、北朝鮮にとってはKBSが韓国のマスメディアの中でも憎悪の象徴だったのである。そのため2000年の6・15南北頂上会談時には、代表団の一員であったKBS社長の入国を阻止しようという動きまであった。

 ところが、会談以後はKBSにたいする北の態度が一気に変わってきた。これを受けてKBSは、2000年8月に北朝鮮の交響楽団132名を招待し、ソウルで初の公演を開催した。続いて2000年9月、韓国最大の節句である秋夕(チュソク:盆)には、KBS社員21名と北朝鮮放送委員会の18名が共同して北朝鮮白頭山頂で生放送を実施することになった。南側は済州島の漢拏山と北朝鮮の白頭山、そしてソウルのスタジオとを結んで生中継を行なった。残念ながら、このときの視聴者は南側だけであった。しかし、2002年9月の秋夕にはKBS交響楽団が平壌で北朝鮮交響楽団と共同公演を行ない、幸いにもこの公演については南北同時生中継が実現した。これは南北の視聴者が同時に同じ番組を見ることができた初めての生放送であった。とくに、北朝鮮の人びとが南の芸術作品の生中継に接したことはきわめて意味深いことであろう。周知のとおり、北朝鮮のテレビ番組は体制宣伝が中心である。そのテレビに南の交響楽団の演奏場面がそのまま映し出されたというのは、北朝鮮の開放と南北放送交流にとって画期的なできごとであった。放送の翌日、韓国の公演団が地下鉄に乗ると、市民たちが司会者であったKBSのアンカーウーマンに手を振りながら熱烈な歓呼を送った、という報告もある。これらの放送交流は頂上会談以前には想像もできなかったことであり、太陽政策の成果であるといってもいいだろう。

 肥料をまく北の農民がKBSのカメラの前で「南から送ってもらった肥料はまことにありがたい」と話すようすが、昨年夏ごろのKBSニュースで報道された。徐々にではあれ、北朝鮮の住民がこれまで南にたいして抱いてきた「敵愾心」が今後しだいに和らいでいくのではないか、と思わせるひとこまであった。一連の活動は、凍土を少しずつ溶かしてゆく日差しとなろう。北朝鮮の住民の間に「南は金持ち」「ソウルはニューヨーク」「南の軍事力優位により戦争はできない」といった認識が広がりつつある、というのが最近北側を訪れた人びとに共通した感想である。KBSの元幹部によれば、10月に平壌の街を歩いたところ街が大きく変化しており看板なども大変さわやかになった、という。平壌を訪れたニューズウィーク誌の記者も1年前には見られなかった活力が見られたと報告している。このように、太陽政策と南北放送交流等を通じて、南北関係とくに北側の変化がゆっくりとではあれ着実に進んでいるようである。

 以上が報告の概要であるが、太陽政策や南北放送交流の実状、あるいは金正日氏の実像など、報告やその後のやりとりの中で示された内容は豊富であり、半島情勢の一端を理解するうえで有意義な会となった。質疑応答や意見交換も活発になされ、日韓の良き研究交流の場ともなった。
(記録執筆:奥野 昌宏)