研究会一覧に戻る

■ 第29期第5回研究会(メディア史研究部会企画)終わる


テーマ:「第二次世界大戦期の連合軍による対日宣伝ビラについて」

討論者:佐藤卓己 (国際日本文化研究センター)
報告者:土屋礼子 (大阪市立大学大学院文学研究科)
司会者:黒田 勇 (関西大学社会学部)
日 時:2003年12月12日(金)18:00〜
会 場:関西大学社会学部6階 3608共同研究室
参加人数:16名


 報告者である土屋礼子氏は、第二次世界大戦期のアジア・太平洋戦域における宣伝ビラの実態について、アメリカ合衆国およびイギリス の公文書館で収集した一次資料をもとに報告した。

第二次世界大戦期におけるプロパガンダ研究については、欧州戦域の研究は比較的進んでいるが、アジア・太平洋戦域については、先行研究も少なく未解明の部分が多い。土屋氏は、そうした先行研究に触れつつ、米英豪の連合軍側がアジア・太平洋戦域で日本軍に対して作成し使用した日本語の宣伝ビラ、そのなかでも米国の戦時情報局(OWI、1942年6月発足)が作成、配布し対日宣伝ビラを中心に、どのような宣伝ビラが作成されたのかを画像を使用して詳細に紹介した。そして、その目的と内容、作成経過、散布状況、評価方法、実行組織と関係者などについて触れながら、宣伝ビラによるプロパガンダ活動の戦術と戦略の実態を明らかにした。そこでは、1942年夏から対日ビラがまず英・豪軍によって作成された経過、当初欧州向けに比べて稚拙なビラが作成されていたが、次第に日本軍捕虜の協力により日本文化を理解したより精緻なビラが作成されたこと、日本軍の側に対宣伝ビラ対策がかけていたことなどが明らかにされた。

 報告後、討論者の佐藤卓己氏が、ナチスドイツの宣伝戦略のあり方を参照しつつ、宣伝ビラを通しての米国の対日認識の視点とその変化の問題、宣伝ビラを日本兵がどのように受容したかという現実の「効果」の問題、あるいは連合軍が宣伝効果をあまり期待していなかったのではないか、さらに宣伝ビラを戦略として位置づけていたかどうかへの疑問などが出され、また、逆に日本軍による宣伝ビラが対英米と対中国で異なっていたことに関して、日本の戦争戦略と欧米認識のあり方の問題など、対日宣伝ビラの報告から、幅広い様々な仮説的な意見や質問が出され、今後の分析に期待がふくらむ研究会となった。

(記録執筆:黒田 勇)